理想の老後ってどんなだろう?
あまり人の文章を読んでいないのですが、うつパニブログというのがいろいろな意味で良くて、ファンになり読んでいます。
最近のテーマに、理想の老後「縁側で茶をすする」というのがありました。僕の場合、連れ合いが他界し先月三回忌で、ともにすごす老後はありませんが、ただ、その将来のイメージとして「縁側で茶をすする」というのも、とても素敵だなと素直におもいました。
これを読んでいて、ある日のことを思い出しました。あれは、2010年の秋だったと思います。毎日、朝か夜に奥沢にある病院へ通っていましたが、その帰り道、自由が丘の駅近くの座ってたべれるけど、イメージとしては立ち食いそばみたいな、十割蕎麦のおみせに入りました。
75歳くらいの夫婦が入ってきて、座席がないから分かれて別々に座りまして、お父さんがぼくの隣に座りました。ぼくはお蕎麦がまだくる前だったので「座席変わりましょうか?」と声をかけたら、お父さんは「いいよいいよ、新婚でもあるまいし」と笑っておっしゃった。
あのとき、心から羨ましいと思いました。あまり他人のことを羨ましいなんて思うことはないのですが、病院のベッドでまだ目は見えているのか?耳は聞こえているのか?もわからない状態の妻を見舞い、その帰りのそばやでのワンシーンでした。
「if」なんてことは、考えても意味がないことかもしれませんが、ぼくらにも、もしかしたら、こんな老夫婦になる将来があったのかもしれないなと思いながら、そしてとなりと後ろで別々に座りながら蕎麦をすする元気でたのもしい老夫婦を微笑ましく思いながら、鴨蕎麦を食べた記憶がよみがえりました。
「しあわせ」という定義は何もないことですが、当たり前でいることが、一番かなぁと感じたことを思い出しました。
風邪をひいたときに、普段の健康のありがたさを思い、ぎっくり腰をしたときに、痛みのない体の幸せを思い知る。いつも比較ばかりしながら生きているぼくらは、あたりまえのその瞬間のしあわせに気がつきません。
理想の老後かぁ。。。来週還暦だなぁ。
そろそろ、ちゃんとイメージしとかないとな、縁側でやることを。
行かないで
カヴァー曲のレコーディングを通して、不覚にもぼくの心の「隙間」にいきなり入り込んで、ズドンと心臓を打れてしまった作品があった。
「行かないで」松井五郎さん作詞、玉置浩二さん作曲の作品です。
たいへん情緒的で、雲のようなシンセストリングスの中からオーボエがイントロを奏で、この曲はスタートします。そして、深いハスキーな声で、霧に中で泣いている自分のような情景描写からこの歌ははじまります。
いきなり悲しい、いきなりサビのような状況作りです。でも、泣いているのは、けっして悲しいからじゃないといいます。どんなことなのでしょう?
そしてすぐに「行かないで」というKey wordだけで、すべての人の心の中に、それぞれのストーリーが出来上がってきます。
この説明しないまま突然うまれたストーリーの「隙間」、限定しないことで生まれる広がり、これこそが松井五郎さんの真骨頂です。
この「隙間」が、パーソナルな映像を鮮明に浮かび上がらせます。
2010年の2月13日の夕方に感じたことが、まさにこの言葉通りの感覚でした。現実的には「悲しい」と言ったほうがわかりやすい感情ですが、これが大変複雑なものでした。
朝、いってきまーすと言ってぼくは家を出ました。その時に見た妻が、今生であう元気な妻の最後の姿でした。
次にあったのは、この日の夕方でしたが、病院にかつぎこまれ、ベッドに横たわり、死の淵にいる状態でした。これについて詳しくは、ぼくがかつて書いていたブログに書かれています。
本題はここではないのですが、本当に、こういうことがあるということ、そして、それを歌にしている作家ってすごいなと思うのです。
ぼくの場合は本当に「行かないで」と思いながら、引き止めることが罪かもしれないもういい、おつかれさま、気にしなくていいから「行っていいよ」と声をかけました。
現実的には奇跡的に生きて、8年ベッドの上でがんばってくれました。他界したときも「悲しいけど、よかったね」とか「おつかれさま、やっと楽になったね」と理論的に思いながらも「悲しい」という感覚でした。
「右と左」「白と黒」「光と影」「悲しみと安堵」のような感情を同時に経験しました。
涙していても、悲しいだけではない。そこを書くことをどうしたら、思いついたんだろう?
きっと、この経験をしていなかったら、この楽曲は、ここまで深く響かなかったかもしれない。その人それぞれの中にある経験をひきだして、それを、歌に重ねる。
これが、歌の役目なのかもしれない。歌にある「隙間」は、ぼくらの心の「隙間」でもある。
2009年11月、本栖湖で散歩した2ショット
「気持ち」の見える化について
森川さんのライブのときに、いつもファンの方々からいただくお花。なかなか本人は持ち帰れないので、なるべく、ぼくが持ち帰れるときにはいただいていきます。そして、我が家の玄関を華やかにしてくれます。
いつも、綺麗なお花をありがとうという気持ちを胸に、歌声で応える。歌手として出来ることはいつだって一つです。相手に伝わるように、気持ちが届くように歌うということです。
この花束には、いろいろな「気持ち」が込められています。
「いい歌を歌い続けてね」
「応援していますよ」
「毎日、学校で教えながらで忙しいでしょうが、がんばれ」
「もっと、毒舌きかせてー」
「メンバーによろしく」
「今年も、いい作品、アルバムを作り上げて、またライブで聴かせてね」
花からそんな言葉が聞こえてくるようです。
こうやって「気持ち」を形にして見える化することって大切なんだなと思います。
そもそも視覚化することは、大きな力をもちます。音楽は、聴覚ですが、ジャケットは視覚です。音を聴いたことがないのに、買っちゃったCD、ありませんか?
視覚というのは、強烈なアピールがあるのです。これも、伝達するための方法としては、意識しておくべきポイントでしょう。
言葉や音楽は、時間とともに流れて消えます。その瞬間の言葉を聞き損ねたら、それは何もなかったことと同じです。
ぼくらの世代までの「夫」と呼ばれている人種は、まずこの「気持ち」の見える化をしない。照れ臭いし、当たり前のことだから、いちいち口にしない。
夫婦は阿吽である。いちいち、言葉などにはしないよ。
・・・というような考え方です。
しかし、言語で伝えないのであれば、こうやって見える化する努力、したことあるの?
思い返しても、どうも、そのような努力をしたことがない。
口にもしない、形にもしない、見える化の努力もしない。
そうなると、そこには、本当に「気持ち」があるのかどうか?わかりゃしない。
そんなことになってたんじゃないの?
ようするに、すべて相手の判断に委ねている。それだけである。
それだけで、あった。
がーん。。。。
歌を伝えるということはどういうことかなど、いつも、しつこいくらいに考えながら、それを伝えながら、レコーディングしているわりには、日々の中では、なにもしてこなかったわけだと思い知ります。
さまざまな事柄は、知っているか、知らないか、
気がつくかどうかによって大きく変化します。
気がつくのが遅くても、これは現実ですから仕方ないですね。
夕日を眺めて散歩をしながら、反省の日々を過ごしなさいと、
どこかかともなく、そんな声が胸に響きます。
はい、わかりました。
アイデアってすごい
ぼくのまわりには、本当に優秀なクリエイターがたくさんいます。
作詞家、作曲家、編曲家、演奏家、エンジニア、デザイナー、カメラマン、映像作家、・・・・などなど、たくさんの方々のお世話になって仕事をしています。
若造のころ、背景も根拠もなく、無謀な自信だけで仕事していたころ、運良くこのような方々と知り合っていきました。
この人たちに育てられたといっても過言ではありません。
若造ディレクターは、勢いはありましたし、たぶん尺度もはみだしていました。それは、ある意味、おもしろい作品をうみだしたと思います。
やりたくてたまらない、どうしても、やってみたい音楽世界がある。この声で、それを作りたい、そんなことばかり考えて、作っていました。
今、考えると、ものすごいアマチュアリズムです。
しかし、クリエーターの原点は、これではないかなと思います。
相手の意見を聞きつつ、それを自分の中で消化して、そこから生まれてくるアイデアを形にしていきます。
今回、この「じれったい」のPVのアイデアは、もう1年くらい前に映像作家の翁長さんが提案してくれていたアイデアです。
翁長さんを紹介しようとすると、また長くなるので、こちらをご覧ください。翁長さんの経歴
時間のない中で、リアリティとともに、躍動感のある映像を収録するというアイデアです。
こんな方法で、なんと3daysの “レコーディングの合間” に4曲のPVを撮影しました。
アイデアってすごいですね。
「Friend」 Crazy Director Recording Diary 10
Miho Morikawa 「another Face ~ Goro Matsui + Koji Tamaki ~」
クレイジーディレクターのレコーディング日記
森川さんのレコーディング2日目 -「Friend」
2019-8-14
17:30 ~ 「Friend」
Vo & Piano+Percussion
どんどんシンプルに「歌」の根源へと向かうように、演奏者の人数は減っていきます。
「歌」の根源は、この世に生まれてきたときの産声ではないかと言っていた人がいます。もしそうであれば、人はみんな歌ってこの世に参上します。素敵ですね。
ぼくらは産声をあげてこの世に生まれ、そして向こうに帰る時、息を吸って引き取ります。
おもしろですね。
羊水の中にいるわけですから、最初に空気を吸うものだとおもったら、その前に、まずは(たぶん、、勝手な想像ですが)気道を通すためにオギャーと息を吐いてこの世に参上します。
昔の西部劇ではピストルで撃たれたカウボーイは「ハッ」って息を吐いて死んでいましたがあれはウソです。
人は息を吸って=引き取ってこの世での活動を終えます。ぼくが、このことを初めて知ったのは4歳のときでした。
ぼくが4歳の時、おばあちゃんが他界するときのことでした。ぼくが4才のある日、幼稚園から家に帰ったときお医者さんが家にきていました。
先生「もう、もどってこないかなー」
おばあちゃん「ふー」
先生「あ、もどってきた」
おばあちゃん「スー」
ぼく「あ、息すった!」
先生「息はね、吐いたら必ず吸うんだよ。最後は息を吸って、もどってこなくなるんだよ」
ぼくの頭の中「TV西部劇のララミー牧場では、撃たれた人が死ぬ時、息を吐いて死んでる・・・あれはまちがいだ」
ぼくは4歳のときに、「息を引き取る」という意味を知った。
なんだか、もどりにくいですが、無理やりもどりましょう。これ以上の思考散歩は危険です。
それで「Friend」です。
これは、とても難しい歌です。
それこそ「呼吸」、そして「伝える」という意味、そこにある「時間」「距離=空間」など、全員が共通認識の上で、森川さんは歌い、野﨑さんと一匹さんは楽器を演奏しています。
「Friend」での森川さんの歌は、目の前にいる「君」にむかって歌っています。すぐそこに「君」はいます。だいたい2.5mくらいでしょうか。
ピアノという楽器の音はけっこく大きいので、演奏の仕方によっては歌がかき消されてしまいます。
もちろん、エンジニアがバランスをとることは出来ますが、演奏するということは他人にまかせることを前提としません。
その歌から伝わるデリケートな「感情」や「距離」を感じながら、音の強さ、ベロシティを意識して、ピアニストもパーカッショニストも演奏しています。
これがインタープレイであり、今回、ぼくらが同時録音で一番大切だと感じていることです。
野﨑さんはじめ、森川チームの演奏家は、みなさん本当にすばらしくて、森川さんの歌声から「目的」「距離」をキャッチして精神、時空、リズムをシンクロさせながら演奏します。
エンジニアは音をデジタルに変換させるという技術的な作業を行なっていますが、音楽的な感覚をもっている人が作業することがとても大切です。
エンジニアは技術ではなく、技能が勝負なのです。こうやってぼくらは「音楽」をみなさまへ届けることができます。
こうしてみると、歌う人、演奏する人、録音する人、パッケージする人、届ける人、など役割がはっきりしてきます。
しかし、おもしろいもので、ディレクターは何もしていません。演奏も、録音も、プレスも流通も、なにもやっていない人です。唯一ブログを書いています。
「Friend」を歌う森川さんは、2.5mほど先にいる「君」へ歌うというアプローチを選びました。
音を聞くときに、この「距離感」をぜひ意識してみてください。そうすると、頭の中に距離を設定したことで、あなたにとっての「君」の映像が浮かび上がります。
音を聞いたとき、演奏者のアプローチもより身近に「なるほど」と感じると思います。
リリースは11月を予定しております。
森川さんのホームページ 気にしておいてください。
命よありがとう 「幸 〜SACHI〜」
SACHI
これは、30年ほど前につくられた作品のようです。詳しくはしらないけど、真璃子さんの歌で30年前に、とんねるずのオールナイトニッポンのエンディングテーマだったそうだ。
シャーリー・マクレーンの友達が作った曲のようです。彼女の娘さんが「SACHI」というお名前で、そのために作られたプレゼント曲だったそうです。
この歌の最後のフレーズは「命よありがとう」と歌われている。なぜ、このような世界が生まれたのか? どんな経緯かはよくしらないけど、このメロディーに真璃子さんが作詞して歌ったのが「SACHI」という曲でした。
ジャスラックのデータベースを見てみると、作詞 作曲はその外人さんの名前になっていて、真璃子は訳詞となっていました。
きっと、よくわからないまま、好きなことを書いたのでしょう。それが日本における法定訳詞になっているのではないかな。
ま、そんなことは、当時の出来事なので、どうでもいいのです。それにしても、こんなにすごいタイアップだったのに、リリースはされていなかった。へー、もったいないね。いい曲だし、どうしてリリースしなかったのかな?
レコード会社に聞いてみたけど、もう当時の関係者なんて誰もいない。音源があるのか調べてもらったけど、ありませんでした。
真璃子さんが音源をもっていたから、それを参考に、新たにレコーディングすることにしました。真璃子さんが今歌っても、とてもいい歌で、本人が書いている歌詞が素直に聞こえてきたので、ぼくの直感的にこれは、もう一度録音したほうがいいと感じました。
人間の根本なんて、そう変わりはしない。小学生で意地っ張りなところは、じじいになってもポイントは同じだったりします。頭で理解すれば、はずかしいから、じじいになってからのほうが素直になることはあります。
この歌詞からすると、真璃子さんはとても素直な人なのでしょう。こんな人っているんだなぁ。変な構成なんだけど、メロディーと言葉のマッチングがとてもうまくいっている。
作為がなくて、20才の女の子が、ただ、思ったことを書いたらこうなっちゃった・・・みたいな作品です。
こういうのって、なんだか魅力的なんですね。当時20才だった人はそれから30年ほど時間を過ごしましたが、歌声はとても綺麗で、その心も気持ちもそのまま伝わって来ます。
たぶん「歌」ということを考えれば、今のほうが圧倒的にうまくなっているから、この作品は、歌手に恵まれました。なんせ、30年も温められて、また歌われたのです。
この歌詞もしかしたら、当時は真璃子さん自身、理解しきれていなかったかもしれない。それが、時を超えることで、より伝わる歌が生まれるなんて、ちょっと素敵なことが出来たかもね。
もうすぐミックスが終わるから、年内には配信リリースしてみようと思います。
怪物たちがやってきた
孫たちとあうのはたのしい。なかなかタイミングがあわず、10ヶ月ぶりに会う。
チーン。
まずは阿弥陀様と清安さんの写真に手をあわせてもらった。
かわいい。なかなか、お行儀もいいじゃないか。
さぁ、食事にしましょう。
ぼくは、常々、核家族というのは不都合なことがおおくて、本来であれば、おじいちゃん、おばあちゃん、たちと、一緒に生活することで、たいへん色々なメリットがあると感じていた。
それは、たとえばお料理の味付けを一族単位でひきついでいけることとか、おとうさん、おかあさんが、体調をくずしたときのバックアップ体制や、集団で生活するために協力しあうということや、食事もみんながそろって食べるということの大切さ、などなど、とても大切なものごと、知識、精神性、躾け、などもふくめてとてもいいことがたくさんある。
もちろん、嫁姑問題など、それも含めて抱え込むこともあるだろう。今は、家に嫁ぐという感覚は少なっているかもしれないが、なんでもかんでも、規制緩和がいいものでもないだろうと思うことがある。
しかしです。別々に住む「楽ちんさ」というのは、おとうさん、おかあさん、だけではない。おじいちゃん、おばあちゃん、サイドも、楽させてもらっていることは覚えておかなければならない。
この怪物くんたちのパワフルな毎日を考えると、もしも一緒に住んでいたらと考えるだけで、命が短くなるような思いだ。
仕事どころではない、何がいつ起こるかと考えるだけで、神経がすりきれる。
わー、そっちいっちゃあぶない!
ごてん・・・びぇ〜ん
大丈夫かー、はいはい、痛くない、痛くない、大丈夫、大丈夫
いやだー、いやだー、
えー? なんでー? なにがー?
びぇ〜 ママー
ママは、平然としている。
女は強い。
女性はこうやって母親になっていくのだ。
だまって、眺めながら、はいはい・・・と、いざとなったときに出ていく。
10ヶ月ぶりでもあり、ぼくは、ひさしぶりに神経が疲れた。
とにかく食事を終えて、お寺へ法事へいき、そこでこの日は終了した。
いやぁ、別れたときにほっとしたことなんのって。
家に帰って、すぐに昼寝をした。
みんなで生活するのも楽しそうだけど、常に、覚悟というものが必要である。
自分の時間がほしい・・・などと、そんな甘っちょろいことを考えているようでは、とんでもないだろう。
さぁ、まだこの先も、まだしばらく人生はつづく。どんな未来がまちうけているのだろうか。楽しみであるが、やはり、あとは健康であること。これだけは、生きる条件として一番大切であると心底おもった、妻の三回忌でした。
清安さんと彼岸花
妻が釈尼 清安さんになって、3回目の夏がきた。
8年もベッド上で動けずにすごしたのた。
よく頑張った。
やはり、出会いは不思議だ。
妻が倒れたのは2010年の2月だった。全身麻痺で、一般的には植物状態とかいわれていたけど、しっかりと生きた。
当たり前だけど、喪中ではないわけだから妻に来ていた年賀状をしらべて、年賀状で妻が倒れたことを知らせた。みんなびっくりしたことだろう。
団地に住んでいた頃の妻の友人がお見舞いにきた。それがきっかけで、息子はその頃砂場で一緒に遊んでいた、おさななじみと結婚した。
そして、今じゃ孫がふたりいる。
「縁」とは不思議だ。
妻が倒れていなければ、この二人は巡り合わなかったはずだ。そして、ぼくはこの孫たちふたりとも会うことはなかっただろうな。
妻はどたんばで、ファインプレーをした。
今度あったときには、その話をしてみたい。
君のおかげで、おもしろかったよ。
孫たちは元気者で、とくに下の女の子は、怪獣みたいだ。
ぼくは1時間ともたない。
すぐ気絶できるよ。
そのくらいすごい泣き方をする。
たぶん、空から眺めて笑ってるかもね。
少しは手伝ってほしいが、色々ルールもあるのだろう。
そっちへ行くことも楽しみのひとつだ。
いくつか、こっちでやらないといけないことがある。
それまで、この世をたのしませてもらうよ。
彼岸花もそろそろ咲き始めるだろう。
「月に濡れたふたり」Crazy Director Recording Diary 10
Miho Morikawa 「another Face ~ Goro Matsui + Koji Tamaki ~」
クレイジーディレクターのレコーディング日記
森川さんのレコーディング2日目 「月に濡れたふたり」
2019-8-14
14:50~「月に濡れたふたり」
ウードは周りとのコミュニケーションがとれやすいようにと、ピアノブースと隣接しているブースで演奏してもらうことにしました。そして、そのすぐ外にある広いブースには、パーカッションがいます。
西嶋「じゃ、一度、練習がてら、やってみてください。どうぞー」
過去に、ライブでもやっているし、常味はめちゃくちゃ演奏は優れているし、ぼくは、順調にすぐうまくいくと信じきっていました。
演奏がスタートしてすぐに、、、、
常味「あれ? どうしよう? うーん。わかんないや。困ったな、どうしよう?」
西嶋「どうしたの?」
常味「いや、なんて説明したらいいんだろう。どうも、どう弾いたらいいのかわからないんだよね」
西嶋「あれ?普通に、やってもらえればいいだけなんだけど」
常味「うーん。困ったな。。。。」
森川さんも、時々これに近い現象が起こることがあります。
音楽で一番大切なこと、それは、時間と空間を共有しながら、演奏者や歌に反応することです。その反応しあう世界が音にあらわれて、音楽となります。
インタープレイが命。常味さんは、言葉は苦手だけど、そのプレイはインタープレイだけで成立してきた音楽そのもの、そんな存在です。
ぼくにはこの人のすごさが、とてもよくわかります。
常味さんは、ほかの音に過敏に反応してしまい、その中での自分の役割はなんなんだろう?・・という、全体の方向、ウードの役割、存在の意義、みたいなことがどうもしっくりきていません。
いつもなら瞬時にベクトルがビタッとあって演奏するのですが、今日のこのスタジオの環境の中で、どうもうまくいかない。見えてこない。そんな感じでした。
スタジオというのは、音を録音するとめに、反射をすくなくしている場をつくっていたりします。そうすると、普段感じている、音像みたいなものと、感覚的に違うという現象がおこります。
竹本「おれさー、一度ぬけていいっすかー。そのほうがやりやすいんじゃないかな?」
一匹さんは、リズムで縛られる感覚が常味さんの中に生まれたのではないか?と察知して、自分は一旦はずれて、音の場の自由なサウンドスペースの中で、プレイをしてみればいいんじゃない?・・・という提案を、このような形でぼくらに合図をくれました。
西嶋「OK、じゃ、そうしましょう。常味、もう一度、自由にやっちゃってよ」
常味「わかりました。やってみます」
常味さんは、本当に動物的な感覚でアプローチしようとしますが、つい森川さんの歌のじゃまにならないように、とか、でしゃばらないようにと躊躇していました。
今回の常味さん自身の「役割」がサポートという感覚でとらえてしまったので、色々と考え過ぎてしまっていました。これは、ぼくの伝え方がわるかったと思います。
ぼくは、デュエットのようにやってもらいたかったのです。そう、この言葉をあのスタジオの現場で伝えるべきでした。
森川さんや、まわりの演奏に合わせるのではなく、常味さんのウードは歌と同じ位置にあって、森川さんの歌とコラボしている世界を作りたかったのに、遠慮しちゃったのです。
こういう時に「コトバ」というのは、とても大切です。
どんな「コトバ」を選んで、伝えるのか?それは、ディレクターの役割としては、とても大きな仕事です。
西嶋「えっと、ちょっと遠慮しすぎていていない? なんかさ、演奏をあわせようとしているよね? そうではなくて、もっとウードを中心に物事考えて、全体をひっぱっていってほしいのね、そんな方向で、やってみてくれない?」
常味「うーん、、、どうかな・・・そんなことやっていいのかな? うーん、とにかくやってみます」
常味さんなりに、なにか割り切って、まずは自分自身を縛っていた彼の中にある太いロープをブチって切り離してプレイしてくれました。
少し荒っぽいところはあったけど、それでいいのです。
結局、このテイクがうまくいって、それをOKとさせてもらいました。
音楽というのは、1テイクあればそれでいいのです。もうこれ以上、煮詰まるのにやっても仕方ありません。
西嶋「OK、もらいました。大丈夫です」
常味「本当?大丈夫ですか?」
西嶋「はい、大丈夫です、聴いてみませんか?いいの録れてますから」
この人の演奏、本当にすばらしいです。楽しみにおまちください。
このあと、一匹さんはダビングという形で、この曲を仕上げていってくれました。楽器がひとつ、またひとつと、入っていくたびに、命が吹き込まれていく、そんなスーパーマンプレイをして、この曲を仕上げてくれました。
今回、基本をシンプルに、生楽器を中心に少編成でレコーディングするという方針をたてました。
それは、楽器ひとつひとつの役割が明確で、演奏も歌と同等に存在感のある音を録音するという方針です。
このアルバムの中で、ウードは1曲ですが、その存在感は強烈です。
目をつぶってゆったりとした世界を聴いていると、いきなり頰をパシンとひっぱたかれるような、そんな強いアクセントをつけてくれました。
2日目の17時まで来ました。この日のレコーディングは、まだまだつづきます。
「ウードとの出会い」Crazy Director Recording Diary 09
Miho Morikawa 「another Face ~ Goro Matsui + Koji Tamaki ~」
クレイジーディレクターのレコーディング日記
森川さんのレコーディング2日目
8月14日 13時30分・・・ここまでの2時間半で、
「Truth」・・・PV撮影
「熱視線」・・・PV撮影
「あなたに」・・・オケ+歌もふくめて20分で録音完了
この日の自慢話をまとめてみると、このような流れとなっております。
お待ちいただいていた一匹さんには、ここからパーカッションのセッティングとなります。楽器セッティングしてもらいながら、そこにマイクをセットしていきます。
Percussionと一言でくくっておりますが、、、名前も知らない楽器もふくめて、とてもたくさんあります。様々な演奏方法が違う楽器をたくさん扱う演奏者が、パーカッショニストです。
この演奏方法が違う楽器を扱うという意味は本当に大変なことです。
ベーシストがギターを弾くのも本来は大変でしょう。河野さんの場合、たまたま出来るわけですが、しかしこれが早いパッセージの曲となると、レコーディングで対応することはできないでしょう。
そういう意味では、パーカッショニストというのは、スーパーマンみたいな人です。あんなことや、こんなこと、そして新聞記者をやりながら空を飛んでいって正義の味方になり、人知れず人類を助ける・・・そんなところがあります。
13:40
もろもろセッティングをしているところに、ウードの常味さんがやってきました。
常味「いやぁ、すみません。高速の事故渋滞にはまっちゃって・・・」
西嶋「いいのいいの、ちょうどよかったから」
ぼくは、内心、どうせまたすぐ出来ちゃうだろうから、ゆっくりでいいから、、、と思っていました。
ところが、過信は禁物でございます。
いつどこで、どんな展開があるのか?人生も、レコーディングもわからないものです。
大幅なセッティング変更なので、マイクセッティング、サウンドチェックにそこそこ時間がかかりました。
14:50~ 「月に濡れたふたり」
バンドはトリオ編成・・・ウード、ピアノ、パーカッション
ウード(oud)という楽器は、アラビア楽器でギターの原型とも言われている楽器です。リュートや、日本で言えば琵琶のような楽器です。
弦は6コース11弦あります。一番太い弦が1本で、あとの5コースは、12弦ギターのように2本づつ弦がはってあります。たいへん、音のクセが強い楽器です。
実は、この常味裕司さん、不肖西嶋の高校時代のバンド「イエローフィーヴァー」でのぼくの相棒のギターでした。ぼくが17歳、常味さんが16歳です。
常味さんはこの頃から、異常にセンスがよく、こいつにギターはかなわないなと思っていました。ぼくの才能は、自分ふくめて客観的に音を聞く力があったことだと思います。ぼくは下手で、常味は上手だといつも思っていました。
その後、ぼくが25才くらいの頃だと思います。井の頭線のホームですれちがったときに、常味はどこかの高校の先生で、寮長をやっているみたいなことをすれ違いざまに言っていました。ぼくは妻と一緒にいて紹介しようかなって思ったけど、電車が発車する間際で「じゃ、また」みたいになって、紹介しませんでした。たぶん、ぼくが結婚直前くらだったから35年前の話です。
時はまたあっという間に25年が過ぎていきました。ちょうど10年ほど前、当時のバンドの仲間のベースやドラムとあったときに、常味はどうしているか?という話になりました。その会話の中で「あいつは、ウードという楽器の奏者でプロでやってるよ」という情報をもらいました。
ぼくはレコーディングの世界で、当時すでに25年をディレクターとして過ごしてきていましたが、特殊な楽器だったからか、彼の名前をきくことはありませんでした。
しかし、その場でウードと検索するだけで、すぐに常味裕司が出てきました。なんだか、有名な人みたいです。
会いたくなりました。
ホームページにメールしてみました。
それから、ほどなく彼から電話がかかってきました。
すぐに会おうということになり、彼の自宅にあそびにいきました。
部屋には楽器が3本おいてありました。
とても綺麗な楽器です。
ぼくは、1年先輩なものですから、えばって言いました。
西嶋「おい常味、ウードって聴いたことないから、ちょっと弾いてみてくれよ」
常味「あ、いいですよ。何弾こうかな・・・たとえば・・・」
・・・と、アラビア的な、シルクロード的な曲をゆっくりと弾き始めました。そこから、徐々に景色がかわっていくように、激しくなっていき、ドラマチックな展開へ、そして、また「静」の世界へと。
心にガツンと響き渡りました。
すごい。
西嶋「あの、常味さん、失礼しました。そんなに上手だったんですね。、、、つきまして、今度、因幡晃さんのライブがあるのですが、そこで、ゲストに出てくれませんか?」
・・・と、手のひらを返したように、その場ですぐにお願いしてしまいました。
・・・あぁ、森川さんのレコーディングから遠ざかっていく・・・まいったな・・・いつも、こうなんです。ぼくの思考はつい散歩に出かけてていくのです。
ま、そうやって、常味さんとの再会をはたし、因幡さんのライブにも、レコーディングにも参加してもらって、あれから、またもや時は過ぎまして、さらに10年が経ちました。
はい、もどってまいりました。
で、「月に濡れたふたり」でございます。
この曲を聴いたときに、すぐに、ウードの響きとこの曲の相性があうとピンときました。
それで、2年前の秋にブルースアレイのライブで弾いてもらいました。
思った通りの世界観でした。これを今回も使わせてもらおうと、キャスティングしました。
ところが、このレコーディング、そう簡単ではありませんでした。
思いもよらないことで、進行はストップしそうになりました。。。
余計な寄り道の文章があったため、今日の「月に濡れたふたり」レポートは書ききれませんでした。
つづく
1月のひまわり
ayunaさんが真璃子さんの誕生日プレゼントに贈った歌のタイトルです。
もちろんこれは、夏の写真ですが、、、ふたりは数年前の1月に出会ったそうです。ここにも、出会いの連鎖は隠れています。この二人が会っていなければ、ぼくはayunaさんと会うことはありませんでした。
このタイトルは、真璃子さんの笑顔がひまわりみたいで、とても暖かく、素敵な人だと感じたという、その第一印象を歌詞にしてあります。
たぶん、はじめて書いた歌の作品だと思います。
声の特性や、言葉の選び方もふくめて、少し子供っぽくも感じますが「純粋」とはそういうものではないでしょうか。
そういう時に、人の気持ちに響きます。特別な理由などいらなくなります。そこにある、純粋な気持ちが歌にのせて伝わってきます。
これは、そう簡単に出来ることではありませんが、彼女は、それを自然とやってしまうところがあります。作り事ができないのでしょう。
歌で演出はできないけど、その気持ちが素直にそのまま表現できる。これは、とてもすばらしい才能だなと感じます。
この場にいたぼくの友人や、作曲家、から後日、あのこは可愛いし、声もきれいだし、歌がとても伝わってきたと、言っていました。
おじさんたちも、素直な気持ちにやられたようです。
真璃子さんにとっても、とても素敵なプレゼントになったことでしょう。
今、デモテープを作ってもらっています。先日、マイクを買って録音できるようになりましたーとメールがきまして、3曲ほどカヴァーの歌を送ってくれました。
「デイドリームビリーバー」・・・・面白い曲を選んだものだな。これは、もろぼくらの世代の歌だけど、名曲は、いつの時代にも響くものなのでしょう。
忌野さんがCMでも歌っていたから、それでかと思っていたら、どうも、そうではなくて「ひるね姫」というアニメの主題歌で高畑充希さんが歌っていたのでした。
こういう曲を選ぶセンスというのもとても大切ですね。
それで、次が「オリビアを聴きながら」
まあ、これはよくあるかな。世代ではないにしても、まぁ、普通にありですね。
それで、これが面白かったんですが、
曲を選ぶセンス・・・突出している。すばらしいなと思ったのがこの曲。
1968年 日本レコード大賞 特別賞受賞曲
「愛のさざなみ」
それも、それも、自分の声にあうように、メロディーを少し変更していてびっくりしました。まぁ、変更のしかたも、ゆるされる範囲ではないかと思います。
おもしろいなぁ。どんどん、好きな歌を歌ったものを、しばらく録音してもらい、そのうち、ユーチューブなどでアップしてみるのもいいかなと思っています。
その時はまたここでも、書いてみますので、まだ先になるでしょうが、楽しみにしておいてください。
出会いの連鎖
ひとつの出会いは、さらに新たな出会いをもたらします。
単純にふりかえれば「出会いの連鎖」で、人生は作られているように思います。
たとえば、誰しも、この世に生まれてみますと、両親がいたり、兄弟や姉妹がいたり、そこではじめましてという最初の出会いがあります。
そして、そのうち、近所や幼稚園でなかよしができます。
こうやって、出会いをかさねがら、いつか就職したり、歌をうたったり、いくつかのグループにわかれていきます。
このグループは、それぞれ少し関わりのあるグループが重なっていて、そこに「出会い」ということにより、広がっていく世界があります。
youtubeを見ていると、関連動画がどんどん出て来ます。それをまたクリックすると、新しい歌手との出会いがそこにあります。
たとえば、ぼくの場合、ジェフ・ベックが大好きで、ロニースコッツクラブでのライブDVDを購入したら、そこにジョス・ストーンが出ていて、気に入って、ジョス・ストーンを聴き始めるみたいなことが起こります。
エリック・クラプトンが好きで、クロスロードフェスティバルのDVDを見ていて、ジョン・メイヤーを気に入って、ジョン・メイヤーのライブDVDも買ったりしました。
こんな風に、人生は人と出会い、そこから、また新たな人と出会っていきます。
真璃子さんと知り合って、レコーディングをしたり、ライブをやったりするわけですが、そこで一人のピアニストと出会いました。
このayunaさん、声がとても綺麗です。こうやって、新たな才能と出会うことは、とても楽しく、おもしろいものだなと思います。
そうすると、また新たな考えが浮かび上がります。この声をもっとつかうと、もっと面白いことができるのではないか?
そうだ、真璃子さんのステージで、企画コーナーをつくって歌わせてしまおう。このふたりの声の相性がとてもいい・・・そうだ、ザ・ピーナッツをやろう。
なにがいいだろう。モスラではちょっとちがうしな。
そうだ「ふりむかないで」・・・これをふたりで歌ったらかわいいはずだ。
そんなわけで、ぼくの頭の中では、ピアニストの「声」との出会いから、新しい企画を思いつきまして、そして、ayunaさんをステージにひっぱり出すことに成功しました。
これは、ひとつの才能の発見でもあります。
この「声」には、なにやらまだまだ可能性があると感じた瞬間でした。こうして、出会いの連鎖は、人生をおもしろくしていってくれます。
出会いという不思議
人との出会いというのは、本当に不思議なもので「縁」ということばが、しっくりとくるというか、他では説明がつかないことが多くあります。
他の言葉では説明がつきにくいので、一言で決着のつくこの「縁」という言葉を選ぶと、気持ちが楽になるのかもしれません。
真璃子さんという歌手がいます。1986年の元旦にデビューしたときに、その存在は、当時から知っていました。
当時、今井美樹さんのレコーディングを担当していたこともあり、頻繁にフォーライフレコードで打ち合わせをしていたため、フォーライフからデビューした真璃子の宣材や告知ポスターなどを、レコード会社の中でよく見かけました。
しかし、当時は、別会社の一社員である私と、とんねるずの所属事務所からデビューする新人歌手というだけで、それ以上の接点はありませんでした。
さらりと、33年ほど時間をとばします。
2018年の夏、森川美穂さんのレコーディングを日々、渋谷にあるスタジオで行なっていました。松井五郎さんにプロデュースしていただいた「female」というアルバムです。
全曲の編曲を山川恵津子さんにしていただいたアルバムです。そこで、山川さんから「真璃子ってしってます?」と訊かれ「はい、知っています。どんな歌手かまでは知りませんが、フォーライフからデビューした方ですよね?」
そんなたわいもない会話からこの「ご縁」ははじまりました。
2018年9月の末に、森川さんのライブを福岡でやりました。森川さんにとって25年ぶりの福岡でのライブでした。
そのライブにふらりと現れたのが真璃子さんでした。
「はじめましてー、真璃子です」
「はじめまして。山川さん、松井さんのお二人がプロデュースしたアルバムは聴かせていただいております」
たった、これだけのきっかけで、11月には、福岡で行われる真璃子さんのライブを見に行くことになり、話し合いをしまして、現在、真璃子さんのレコーディングも担当することになりました。
人と出会うことは、なんとも、不思議なものです。
「音楽」がとりもつ、そんな「縁」により、今、レコーディングをしています。
昔は、どうやったら売れるか?なんて、分析能力やマーケティング能力もさほどないくせに、余計なことを考えながら制作をしていました。別の言い方をすれば「言い訳」を考えながら、レコーディングしていたようなものです。
今は、どうしたら歌手の魅力をひきだせるのか?ということだけに的を絞ってレコーディングしています。
聴いてもらえた方々の心に、すっと自然に届く「歌」であるかどうか?
結局、これが一番大切だろうと、素直に作ることを心がけています。
「B studio」の思い出
sound inn B-studio
これは、記憶の中ではない、目の前の景色です。
今、レコーディングしているこのスタジオ、、、Sound inn B studio
このスタジオ自体は、40周年です。
40年前、ちょうど出来立てのこのスタジオに見学にきたことがあります。その時は、作家マネージメントをしていて、誰かのレコーディングを見に来たのですが、誰だったかはわすれてしまいました。
それから、4〜5年ほどが経って、このスタジオのフロアーに事務所があった日本テレビ音楽という会社に勤務していました。
そして、このBスタジオ・・・たぶん31年くらい前です、、、、Bスタジオを改装してはじめての使用者が私でした。
当時「元気が出るテレビ」のタイアップ曲で、兵頭ゆきさんと高田純次さんがデュエットを歌う企画があり、それのレコーディングディレクターがぼくだったので、その曲の録音をやったと思います。
あれから31年です。
今も音も居心地もとてもしっくりとくる、最高のスタジオです。
このコンソール、サウンドインのオリジナルで、オーバークオリティというブランドネームで、1チャンネルが約100万円くらいです。たしか、98チャンネルくらいあるはずだから、これだけでざっと1億円、それもオリジナルコンソールだから、その開発費もいれると・・・オーバークオリティ、予算もオーバーサイズだ。
今じゃありえない投資ですね。
もちろん、スピーカーやら、壁や天井や床の底をはいまわっている目にはみえないワイアリングやら、防音やら、当時のテープレコーダーやら、書ききれない機材がどっさりとありますから、とんでもない金額が使われいるわけです。
きっとこのコンソール、エレベーターでは運べないでしょうから窓ガラスが入る前に、クレーンでつりあげて入れたんでしょうね。
当時は、それが当たり前だと思っていましたが、こういうスタジオで、思う存分レコーディングすることは、今となってはとても贅沢な話です。
もうなくなってしまったスタジオも数知れず、、
こうやって、もう35年ほど、スタジオで録音させてもらう仕事をつづけていますが、音を作り上げる現場にいられることは、とても楽しい。
ありがたい。ありがたい。