思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

行かないで

カヴァー曲のレコーディングを通して、不覚にもぼくの心の「隙間」にいきなり入り込んで、ズドンと心臓を打れてしまった作品があった。

 

「行かないで」松井五郎さん作詞、玉置浩二さん作曲の作品です。

 

たいへん情緒的で、雲のようなシンセストリングスの中からオーボエがイントロを奏で、この曲はスタートします。そして、深いハスキーな声で、霧に中で泣いている自分のような情景描写からこの歌ははじまります。

 

いきなり悲しい、いきなりサビのような状況作りです。でも、泣いているのは、けっして悲しいからじゃないといいます。どんなことなのでしょう?

 

そしてすぐに「行かないで」というKey wordだけで、すべての人の心の中に、それぞれのストーリーが出来上がってきます。

 

この説明しないまま突然うまれたストーリーの「隙間」、限定しないことで生まれる広がり、これこそが松井五郎さんの真骨頂です。

 

この「隙間」が、パーソナルな映像を鮮明に浮かび上がらせます。

 

2010年の2月13日の夕方に感じたことが、まさにこの言葉通りの感覚でした。現実的には「悲しい」と言ったほうがわかりやすい感情ですが、これが大変複雑なものでした。

 

朝、いってきまーすと言ってぼくは家を出ました。その時に見た妻が、今生であう元気な妻の最後の姿でした。

 

次にあったのは、この日の夕方でしたが、病院にかつぎこまれ、ベッドに横たわり、死の淵にいる状態でした。これについて詳しくは、ぼくがかつて書いていたブログに書かれています。

 

本題はここではないのですが、本当に、こういうことがあるということ、そして、それを歌にしている作家ってすごいなと思うのです。

 

ぼくの場合は本当に「行かないで」と思いながら、引き止めることが罪かもしれないもういい、おつかれさま、気にしなくていいから「行っていいよ」と声をかけました。

 

現実的には奇跡的に生きて、8年ベッドの上でがんばってくれました。他界したときも「悲しいけど、よかったね」とか「おつかれさま、やっと楽になったね」と理論的に思いながらも「悲しい」という感覚でした。

 

「右と左」「白と黒」「光と影」「悲しみと安堵」のような感情を同時に経験しました。

 

涙していても、悲しいだけではない。そこを書くことをどうしたら、思いついたんだろう?

 

きっと、この経験をしていなかったら、この楽曲は、ここまで深く響かなかったかもしれない。その人それぞれの中にある経験をひきだして、それを、歌に重ねる。

 

これが、歌の役目なのかもしれない。歌にある「隙間」は、ぼくらの心の「隙間」でもある。

 

2009年11月、本栖湖で散歩した2ショット

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