思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

「思い」を伝えたい。意思伝達装置の開発について

重度障害者の意思伝達装置の開発応援クラウドファンディングの紹

f:id:groovyandwonderful:20200121110946j:plain

https://readyfor.jp/projects/chat?fbclid=IwAR3WnGyfDqny6Vc565ygC1-aGA3ujVRgxtYm9fl2pUqO55ob05wHgmGCuro

「思い」を伝えたい

 

ぼくらは毎日、何気なく会話をしています。
電車の中のほんのちょっとした時間でもSNSを見たりメールをしています。
人生においてコミュニケーションがどれほど大きな意味をもつのか、考えてみたいと思います。

 

たとえば「声」を失った人がいます。
しかし、その人は「コトバ」を失ったわけではありません。
「思い」は確実に存在して、その人の中に「コトバ」に変換され、大切にしまってあるのです。

 

 


ぼくが応援したい理由を、
「思い」と「コトバ」について書いてみます。

 
 

ぼくは「コトバ」の使い方が下手でした。
音楽を仕事にしているくせに、プライベートでは ”伝える” 努力を怠っていました。
これは生涯の後悔となりました。


妻が倒れたのは、2010年の2月13日、雪がちらつくとても寒い日でした。

 


「行ってきます」と家を出るときに見た妻は元気でした。
その日の夕方、妻を見たのは救急病院のICU。


気道を確保するためのチューブが口から差し込まれ、心拍数を計測するためのコードが貼り付けられ、ベッドに横たわっている姿でした。まるで別人でした。いつ生命活動が終了するかわからない、そんな状況でした。
あの日の「行ってらっしゃい」が、妻の「声」を聞けた最後となりました。

 
 

ベッドに横たわっている妻の顔色に血の気はなく、生きているのか?と手をさわってみると、体温があった。
呼吸のために、胸がわずかに上下していることを確認して、生きてると知った。
ショックと混乱の中で、強い悲しみを感じながら、体温を喜び、呼吸に救いを求めた。

医者からは、今夜中、もしくは長くても3日のうちには他界するといわれたけど、妻は自発呼吸で4日目の朝を迎え、その後7年半生きました。

倒れたあとは、もちろん悲しかった。
しかし、何故だかこの状態、この関係をぼくらは経験することが、とても大切なのだと強く思うようになっていきました。

 


ぼくは、妻の体に閉じ込められている「気持ち」のことがいつも気になっていた。
健康だったときは、見向きもせずに「仕事」にかっこつけて自分の好きなことしかやらなかった。
妻のことはいつもおいてけぼりだった。そう思います。


妻の体の中に閉じ込められた「コトバ」をどうすれば救出できるのか?ぼくは毎日そればかり考えていました。
妻との日々により、医学的に遷延性意識障害(=わかりやすいえば、植物人間)というような言葉で紹介されている重度障害の人たちの中にも「コトバ」があることに確信をもつようになりました。

 


眉毛をそろえて、最終的にムダ毛を毛抜きで抜いた時に「痛っ!、やめてよ」という顔をします。
そして、瞳をコントロールすることが苦手な妻が、ぼくを斜め下から見上げて睨みます。
「あ、ごめんごめん」といいながら、ぼくは嬉しくなりました。

 


妻の中の「コトバ」はこのようにテレパシーのように伝わりはじめました。

 


リハビリのときに、唇をうごかそうとしたり、内緒でバニラアイスを水滴で言えば1〜2滴ほどの大きさを口にいれて「おいしい?」と聞くと「うん」という返事が、まばたきだったり、うなずきだったり、口を「うー」という形にしたり、その時にできる手段で表現してくれるときもありました。

 


これも「コトバ」です。

 


障害をもっている人たちのコトバを、ぼくはいろいろな形で体験したことがあります。
レッツチャットを使っている人、文字盤を見ることで、それを読み取りながら会話している人、指談という方法で「コトバ」を読み取れる人をとおして会話する方法、ほかにも、さまざま経験しました。

 

このときに、とても素晴らしいことに気がつきました。
普段「コトバ」を扱えない、妻のように極度に文字数制限がかけられている人たちの心は、どんどん美しくなるということです。
 
 

少ない文字数しか使えない時「人は美しいコトバ」しか選びません。

 


ぼくら健常者のように、愚痴なんて言いません。

文字制限の中で「コトバ」はとても貴重な資源です。
自分の「感情」「心」「気持ち」「思い」を伝えられる数少ないチャンスです。
くだらない愚痴などに貴重な資源を使ったりしません。
大切な大切な「気持ち」を伝えたいとき、優先順位を決め、考え抜いて選んだ「コトバ」だけを伝えるのです。
 
 
「ありがとう」
 
 
この5文字は、ぼくらの何十倍も考え、選び抜かれた「ありがとう」です。

 

 
國學院大學の柴田先生がやられている「きんこんの会」に参加するたびに、この貴重なコトバたちと出会いました。

彼ら、彼女たちが選びぬいた「コトバ」は美しく、感動があります。

そんな輝いている「コトバ」たちを解放してあげることができる、意思伝達装置があれば、どんなに素敵だろうと思います。
 
 
 
あの美しい「コトバ」が広がれば、世界がよくなる、そんな気さえします。

 

 

ぼくは、会社を辞めて、妻が遷延性意識障害として生きた7年半のほとんどの日々、病院へ通い、ベッドサイドで妻と時をいっしょに過ごしました。最初のころ、看護師さんたちは、妻に意識があるなど信じていませんでした。ぼくが伝えても、家族を刺激しないようにという程度の対処で「よかったですねー」と対応する程度でした。
しかし半年ほどが経ち、毎日リハビリをしているぼくらの変化に、気がつくようになりました。

 

 

ベッドの上に寝ているのは、人間です。
「気持ち」も「コトバ」ももっている人間です。
コミュニケーションができれば、そう思われるのですが、そうでないと、悪気はないのですが、ついつい「モノ」のように扱われていきます。
 
 

病院の仕事はハードだし、分刻みに業務があり、段取りがしっかりしていないといけませんので、ついそうなることがあります。

しかし「コトバ」さえあれば、ベッドの上の人生も大きく改善されることでしょう。
妻の「コトバ」は、声でも、文字でもなく、見逃してしまうほどささやかな表情の瞬間芸でした。
しかし、ぼくがそれに喜び、看護師さんたちに伝えつづけていた結果、彼女たちも、それに気がつくようになりました。
 
 
ここから、ベッドの上にいる人は、コミュニケーションがとれる人間であると、認めてもらえました。
 
 
これは、人間の尊厳の回復でもあり、大きな出来事でした。
 
 
きんこんの会で出会った、自閉症やダウン症の子供達が、心の中の「コトバ」を伝えられた瞬間に輝くような笑顔になる、そんなすばらしい瞬間に妻とともに立ち会うことができました。
 
 
20年間閉じ込められていた感謝の「コトバ」、おかあさんへの「ありがとう」を言葉にできた瞬間、本人は輝くような笑顔になり、母親とまわりにいた、ぼくらも感激の涙を流していました。
美しいコトバが解放された瞬間でした。

 


こんかいのクラウドファンディングを立ち上げた松尾さんは、妻の病院にも何度も来てくれました。
残念ながら、全身麻痺で、レッツチャットをつかえるところまで筋肉は回復できまでんでしたが、はっきりしていることは「コトバ」を使えるか、閉じ込められたまま使えないままでいるのか、この差は、本人はもちろん、まわりのぼくらにとっても、たいへん大きな問題です。

 

クオリティ・オブ・ライフという考え方がありますが、まさに「コトバ」を扱えるかどうかは、人生の質を大きく左右します。
 
 

これを手に入れることができるチャンスがここにあります。
ぼくらは「美しいコトバ」たちを救い出せるかもしれません。


松尾さんの志と行動、そしてその先には、キラキラしたコトバがこの世にどんどん生まれていくのだろうと思います。


応援よろしくお願いいたします。

原子爆弾

f:id:groovyandwonderful:20191115151940j:plain

長崎にいきました。

平和祈念像の右手は原子爆弾を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者への冥福を祈る。この像を見に来たことは何度か来たことがあるが、原爆資料館にははじめて入った。

 

このような資料館はに、ウィークデイにもかかわらず、たくさんの方々が見に来ていたことはとてもいいことだと思いました。過去の歴史は、そのままを記録し、そこから未来を考えることが大切だと思います。

 

外交のこともからめると、どうも、歴史に蓋をしたくなる輩が出てくる。すべてを損得のみで考えると、歴史そのものを捻じ曲げてしまうこともある。事実は事実を、記録を残し、のちの人間は、その事実から、次にもっといい解決方法を考えていくべきだろう。

 

それにしても、トルーマンは、この爆弾を使うべきではなかった。

 

ぼくが驚いたのは、この爆弾が落とされる1年前ハイドパークでのあるふたりの会談での約束だった。それはルーズベルトとチャーチルが、原爆ができたら、日本で使ってみようね。そうだね。という意見の確認がされていてたというのだ。

 

ヒトラーに使ってみようね、、、という風にはならない。

 

ルーズベルトがいなくなり、トルーマンの時代へ移り、終戦も見えて来た1945年7月のポツダムで、チャーチルはトルーマンに去年(1944年9月)ルーズベルトと約束したよ。はやく日本で原爆を使ってみようぜとトルーマンに声をかける。すぐに警告なしで投下するべきだと。

 

そして、トルーマンは翌25日に原爆投下許可をだした。投下実行はご存知のとおり。8月6日広島リトルボーイ(ウラン型原子爆弾)、そして9日長崎ファットマン(プルトニウム型原子爆弾)

 

爆弾投下をスピーディーに決断できた背景には、人種差別の心があっただろうと推測できる。決してドイツでの実験はしない。日本で無警告で実験を行い、その悲惨な状況を脅威としてアメリカの力を見せつけた。わざわざ、2種類、なるべく被害の少なかった場所で、2種類の爆弾を実験したのだった。

 

どうすれば、地球が平和になるのかはすぐにはわからないけど、日本から平和を発信することはとても大切なことだ。

 

www.sankei.com

 

時代の激流〜きつねさんからのメール〜

時の流れは目には見えないけど、確実にそのスピードは増していると感じます。

風も目には見えないけど、木の葉の音や、枝葉のゆれで確認ができます。こんなふうに、時間、時代も、目には見えにくけど、確実に変化していきます。

 

今朝目覚めたら Firefox からメールがきていました。登録いた覚えはないけど、ぼくのメールアドレスアカウントは、登録してあると書いてあります。

 

そこに書かれているのは Firefox のブラウザーを使うことでの、メリットというか、プロテクトについて書かれていました。

 

簡単に言えば Firefox はトラッカーからあな守りますという趣旨のメールでした。Firefoxはあたなのプライバシーを10億のトラッカーからブロックします。毎日。。とありました。

 

企業は広告誘導のために、あらゆる手段で個人情報を集めているということです。その項目は、さまざまですが、Firefoxによると、、、、

 

    クレジット/負債とローン
     法的問題
     不妊
     セクシュアリティ
     薬物乱用

 

を含む情報だそうです。

 

負債を返済するために、新たなクレジット会社を紹介すると成約率は高くなるでしょう。法的問題を抱えているとこに、弁護士はアプローチするといいでしょう。不妊でも子供がほしい家庭には・・・

 

そもそも、商売とは、問題を解決するためのサービスであるとしても、問題につけ込むことではなかったはずです。

 

この範囲はモラルということになりますが、インターネット、効率化、無人化、によって、モラルを気にしないで、楽に飛び越えることができるようになってきたようです。

 

戦闘機だって、昔はゼロ戦で命を捨てて体当たりしたわけですが、現在では、無人のドローンで遠隔操作でボタン一つで爆弾を落とせるわけです。目の前に広がる惨事は、映画のように画面のむこうで起きている「映像」になります。

 

ぼくらも、アンケートをとったり、そこに書いてある情報を参考にします。これは、情報の取得だと考えていますが、コミュニケーションが介在し、出してもいい情報の範囲内の合意を得て取得しています。

 

同じように情報の取得であると言えばそれまでですが、そこにはコミュニケーションもなく、プログラムを駆使してサイバー空間上で取得するプライバシー情報は「取る」というより「盗る」行為に限りなく近いでしょう。

 

これからは5Gの時代に突入していきます。こんなことを嘆いても、そういう激流の時代に生きているという自覚は必要だと思わされた、一通のメールでした。

 

Firefoxの最新のブラウザはスピードも早くて、気に入っています。

一応、確認ですが、、きつねさんからのメールは信じてもいいんだよね?

 

 

f:id:groovyandwonderful:20191106123022j:plain

 

 

 

チコちゃんにもの申す。 〜あっという間の一年の巻〜

これからは人と会えば「今年もあとすこし、あっという間ですね」という話になります。

 

去年のことですが、チコちゃんを見ていたとところ、これについての科学的回答がありました。

 

ドンドン🎵

大人になると〜、あっという間に1年が過ぎるのはー
人生にトキメキがなくなったからぁ〜

f:id:groovyandwonderful:20191102003649j:plain

 

・・・・ま、まじか。。。(涙)


https://www.google.co.jp/amp/s/xn--h9jua5ezakf0c3qner030b.com/1698.html/amp


どうなんでしょうね?

なんだか、ぼくは、なんだか腑に落ちませんでした。

 

メディアってぇのは強力で、とくにNHKがやると、ぼくも、つい信じてしまいそうになります。それでも、心の中のどこかが、ずっと「ん?」と感じるのは、どうしてかな?・・・と思うわけです。

 

たしかに、子供に比べれば、知識がある分、大人になると「トキメキ」は少なくなるかもしれません。でもー、そうかなー、、、知らないってことは、もっと知りたくなるし、もっと知れば楽しい。さらなる探究心っていうか、なんかもっと知りたいなーっていう気持ちが生まれませんか?

 

もっと良くなるには、どうすればいいのだろう?とか、こうしたら、もっと良くなるかもしれないとか。そう考えるほうが楽しいよね。

 

そもそもクリエイティブって、そんなことだし、考えてみればこの「姿勢」って、結局のところ、子供の頃とあまり変わらないじゃん。

 

浜辺の砂で、お城をつくるときに、もっとどうしたら、高く砂をつみあげて、カッコイイお城がつくれるか?とか、トンネルをほって、そこに腕を通せるようにしたいとか、いろいろやりたくなりますよね?

 

そんなわけで、この回答をチコちゃんはどう感じていたんだろうなぁと思ったりします。

 

台本ですから〜、って大人の対応をしてたんじゃないの?おい、木村、それでええんか?あ〜ん。なんて、心の中でつぶやきながら、、

 

でもチコちゃんは知っています。ドンドン🎵「そうしないと番組にはなりません〜」社会性があるってそういうことですかね。かな。かもね。でもね。

 

テロップで出ている、諸説あります・・・便利すぎるぜ。イェー。

変化する感覚

昔、なんとも思っていなかったCDをなんとなく聴き直してみると、輝いているところを見つけてしまって、大好きになることがある。当時では、気がつくことができなかった魅力が、自然と体の中に流れ込んでくるのだ。

 

「好き」にルールはない。

 

しかし、ディレクターなどという職業は、どうすれば「いい歌」や「いい演奏」をレコーディングできるのか、などということを、真剣に考えつづけてきたわけで、それが、自分なりにわかってきた。その結果、基準が明確に体の中に生まれて、自然と判断できるようになったようです。

 

このフィルターを通過するときに、ぼくの中の「気持ちいい」というスイッチが押されるようです。

 

歌、音楽で全員が気にするポイントは、音程、ハーモニー、リズムです。あと、歌なら声質というのが大きな要素になりますが、ぼくはあまり気にしません。なぜかというと、ぼくが気にしても、その人の声質が変わることがないからです。

 

気にしても、気にしなくても、変化することがない部分は、ぼくの問題ではありません。木枯らし紋次郎的にいえば、「あっしには関わりがねぇこって」というわけです。

 

そして、ぼくは歌い方や、表現には介入しません。よくテレビや、演歌の先生とか、歌い方の指導をしているところをみるけど、それはある一例を示すということで、そのあとの判断は、歌い手本人が決めればいいという考え方をしています。

 

聞かれれば、ぼくの感覚としていの意見やアイデアは伝えます。しかし、そここそが、パフォーマーのやるべき分野です。たとえば、変わった歌い方を否定したディレクションをしているとすると、桑田圭介さんや、井上陽水さんも、忌野清志郎さんも、ありえない歌い方ということになります。これこそ表現で、個性であるわけです。

 

もちろん「好き」か「嫌い」にルールはありませんから、好きな人も嫌いな人もいることでしょう。しかし、ぼくはこの3名の方はとても好きです。

 

3名に共通するところは、言葉が聞こえることです。これがとても大切だと思っています。伝えたい言葉がある、それを歌って伝えたいのですから、言葉が聞こえるのは大切です。

 

最近、テレビで日本語の歌詞がすべて字幕で流されています。

 

あれは、たぶん、言葉が聞こえないことがたくさん起きている証拠ではないかとおもっています。演歌ではだいたい言葉がはっきり聞こえますが、アイドルの中には言葉がよくわからないと感じることがあります。その場合に字幕は、有効な手段だとおもいます。

 

しかし、歌は聴覚で言葉をとらえ、視覚でほかの情報をキャッチして楽しみたいと思い、そこを目指す方法を考えています。

 

f:id:groovyandwonderful:20191029222648p:plain

 

 

さーやるぞ!

f:id:groovyandwonderful:20191021120100j:plain

来た!よーしやるぞ。

かっこいいタイトルだけど、ぼくの部屋、こんなことになっています。うぁー、今年もまたぼくの部屋がなくなるー。いやいや、これは自分自身で選んだ道でございます。CDの通信販売をやると決めたときには、もう覚悟はできいました。

 

会社員で部下がいれば、自分ではやらないで、やっといてねと言って終わりです。あるいは、自分でやるとしたら、なんでこんなこと俺がやらないといけないのなどと、愚痴をこぼしながらやっていたのかもしれません。

 

しかし面白いもので、自分で「よし!やるぞ」と、そう決めて始めた通信販売です。あれも、これも、ぜんぶやると腹を決めてはじめた、マネジメントプログラムです。腹さえ決まっていればいいだけで、そうすると面白いのは、意識はその先へと飛んでいきます。

 

商品を心待ちにしてくれている、ファンのみなさんの元へ少しでもはやく届けたい。そう思うと、まず今日は、朝起きてからすぐにプチプチのロールを2時間ほどかけて切り、破損のないようにクッションを作りました。

 

あー、はやく宅急便屋さんこないかなー、、と心待ちにしていると、お昼頃にピンポーンとやってきました。

 

満足のいった作品は、ぼくの人生の中でもそう多く作れているわけではありません。当時はいいと思っていても、自分自身が成長してから振り返ると、まだまだだなとわかります。が、今回の森川さんのアルバムは、最高の出来です。

 

そう思うと、この作品をはやく聴いてもらいたい。注文がはいると、うれしい。

「喜んでー!」と叫びながら、これから梱包します。

 

さーやるぞ。

 

早い人は明日か明後日から届きますね。お楽しみに。

 

※現在、郵便局は配達人員不足で、たまに遅配がおこっているようです。(息子が郵便配達やさん情報)・・・なので、心にゆとりをもちながら、おまちください。

 

正直者はバカをみる。。。のか?

マイケル・サンデルの「正義」についても、視点、立場によって「正義」はかわる。人間が「正義」であるためには、どうすればいいのか?

 

自然破壊と人間の関係とか、しかし、人間も含めて「自然」と考えると、この破壊も自然ということになるのだろうか?・・・・なんてことは、ぼくは小学生3年生頃から思っていたことだけど、還暦になってもよくわからない。

 

そうすると、やはり今までの経験、足りなくても今の知識、知能で、決定するしかないのだろう。

 

埼玉選挙がおもしろい。面白いという表現はよくないのかもしれないけど「正直」に思いついた言葉としては「面白い」

 

今の世の中はある意味すごい時代になった。音楽業界では、秀作をつくり、ライブをやっても、そう簡単に人は動かない。デジタル技術とともに、音楽は無料への道をたどりはじめた。

 

そんな中、つい昨日まで知らなかったのに、参議院選挙という場を広告媒体として考え登場し、デジダル映像の集積地であるユーチューブを基地に展開してきた立花孝志さんの躍進がすごすぎる。

 

バカ正直者だった彼は、組織の中でたたきつぶされ、そこから長年かけて執念の行動をとりつづけている。人生、命をかけて行動している。これがすべてリアルストーリーであるところが人の気持ちを動かしている。

 

「いい者」と「わる者」という対立軸をつくりがちだけど、これは、そう簡単なことではない。ただの正直者に政治ができるのか?経営ができるのか?という議論はいつも普通に存在する。ところが立花さんは「正直ものはバカを見る」という常識を盾に、「正直」を武器にかえて戦うという、びっくりするような発明で埼玉にかかっている。

 

常識で考えれば、誰がみてもとんでもない人だ。しかし、どこかちがうぞ。どう理解していいのかがわからない不安はあるけど、ぼくらは、怖いのに怪談を見たい、そんな生き物だ。わからない、理解しきれないものが大好きだ。UFO、ネッシー、幽霊、怪奇現象、陰謀論、女心、、、とわからないことは溢れている。

 

さて、正直者は勝てるのだろうか?

対立候補は、政治の常連さんのようです。民主党の野田元総理をわきに応援させながら、自民党の平山さんを一番に選挙カーへあげる。こちらこちらで、勝つためには方法をえらばないプロのようだ。選挙のタイミングをずらして、当選しやすくするために、22億円もの税金を平気でつかえちゃう人は、信頼できる人とはいえないよね。これは、うんざりする。これは誰もが感じる、人情というものだろう。

 

手段をえらばず、正直にすべてを公開しながら進む姿は、見ていて、大丈夫なのか?と怖くなる。恐ろしくて手を顔にあててみるのだが、その指の隙間からやっぱり覗き見してしまいたくなる。

 

デジタル&動画時代の寵児から目がはなせない。

 

 

f:id:groovyandwonderful:20191015100015p:plain

 

行動・決定のしくみ


今回のレコーディングについての考え方=行動の決定について、思い返していました。いろいろな角度があり、すべては説明できませんが、今年もレコーディングしようとの中で行動を決定した瞬間というのがありました。そのことについて今日は書きます。

 

森川さんはオリジナル曲以外に、カヴァーを中心に歌うライブシリーズをやっています。カヴァーライブを今年の3月にこの3人のミュージシャンにお願いして、森川さんのライブをやりました。

 

いつもはピアノだけで、しっとりと歌うことが多いカヴァーライブですが、ひさしぶりに、グルーヴィーなライブもいいかなと企画しました。

 

この日は、松井五郎さんを招き、安全地帯のカヴァー3曲をメドレーでやるというコーナーを設けていました。この映像の「熱視線」そして、〜「好きさ」〜「じれったい」と続く、3曲のメドレーでした。

 

これが、かっこよかった。なんといっても、このメンバーのグルーヴがすばらしく、このグルーブと完全に一体となって歌う森川さんの歌もとてもよかった。

 

ぼくはこの瞬間、会場の中で歌を聴きながら「今年もやろっと。」と気持ちを固めました。

 

もちろん、うすうすは計画していました。それはもう3年以上前に、森川さんのトータルプロデュースをはじめたときに、5年連続でアルバムをリリースしたいなと、漠然とした目標をたてていたので、4年目の今年も、なんとかCDリリースしたいと思っていたという、そんな背景はありましたが、そう簡単にレコーディングは踏み切れません。

 

単純に先立つ物が必要だから、そう簡単じゃないわけです。その上、打ち込みだったり、ファイルの交換で少人数の才能を駆使してサウンドを作り上げるという方法ではなく、ミュージシャンが集まってレコーディングするということは、それなりの大きなスタジオを借りてレコーディングするということで、どんどん、予算は膨れ上がります。

 

それでも、やりたい。この人たちで、レコーディングしたい。この人たちの演奏の中で、同時に森川さんに歌ってもらい、それを録音したーーーい!

 

という衝動がおこり「やるぞ!」と心の中で決定したわけです。

 

ようするに、気持ちの問題だということですね。「やるぞ!」という決意があれば、さてさて、どうやろうか、どんな順番で、誰と会話して、スケジュールを組み立て、予算を捻出して、業者を決定して、レコーディングのための準備をすべて細かく進めていくわけです。

 

行動・決定のしくみは「やるぞ!」という気持ちです。そう思わせてくれたのが、この人たちの演奏でした。

f:id:groovyandwonderful:20191013111738p:plain

 

 

 

 

幸 -Sachi-

f:id:groovyandwonderful:20191003074856j:plain

30年ほど前、とんねるずのオールナイトニッポンのエンディングテーマで使われていた楽曲です。 当時は、ただ楽曲が流れていて、タイトルもなにも紹介されているわけでもなく、リリースもされていなかったそうです。

 

原盤の行方もわからず、それなら新しく録音すればいいねと新録音しました。こうやって「時」を超える楽曲というものを、映像にも記録しようと作成したビデオがこちら。

 

30年前、何をやっていたかと思い起こしたり、この世にまだいなかった孫を思ったりする。ぼくらもあるひと時、ここにいる。ただ、それだけなんだな。

iTunes Video 真璃子 「幸 -Sachi-」
https://music.apple.com/jp/music-video/%E5%B9%B8-sachi/1480827084

森川美穂、松井五郎×玉置浩二を歌う。

完成しました。

森川さんのレコーディングを4年連続、毎年夏にやり、11月にリリース。

最高の作品になりました。

 

f:id:groovyandwonderful:20191002122828p:plain

予約サイト

https://morikawamiho.com/another-face-pre-sale/

還暦の日に思うこと

せっかくブログをはじめたので、還暦の日に思うことを書いてみようと、なにも考えずにキーボードをうちはじめてみました。

 

まず、年齢について、他人のことを「年寄り」と思っていた若い日々があったなと思い出しました。

 

最初にそれを強烈におもったのは、日本テレビ系列の音楽出版社にはいった、、あれは、1984年だったかなー、そのくらいだと思います。なぐり(金槌)やノコギリを手にして働いていた日雇いのアルバイトから中途採用で、音楽業界へ転職しました。

 

あの頃、日雇いの仕事が楽しくて、もう音楽業界にはもどらなくてもいいやと思っていた時期でした。朝から一つ現場をこなし、よごれた服で、ずた袋からは、なぐりやノコがとびだしている、そんなかっこで面接に行っきました。面接は5〜6名ほどで、まわりはスーツでビシッとしていまして、へんなのが来たと1人だけの採用枠に通ってしまったという、そんな若造でした。

 

書いているうちにいろいろおもしろいことを思い出しますが、当初のテーマ「年寄り」にそって考えると、1985年の春に人事異動で、本体のテレビ局から、子会社の音楽出版社へ人事異動で常務としてやってきた方が、50歳でした。

 

当時、ぼくは24歳です。常務と最初に話をしたときに、当時の世間知らずのぼくは、大企業って大変だな、、、50歳でまだ人事異動とかで、こうやって新しい仕事をさせられるのか。年寄りなのに、大変だな、、、なんて思っていました。

 

ひどいですねー。しかし、目がギラギラしたやるきまんまんの方でしたので、そうか、こんなに年とっても、まだまだ働けんだなー、、、くらいに思っていました。

 

ぼくの父は、50歳で定年して、しばらくは碁会所へ毎日いって、そのうちそれも飽きちゃって、近所の会社に再就職して、、みたいな時期だったので、50歳は定年の年、人生50年・・・それ以上は働かなくていい・・くらいにしか思っていませんでした。

 

時がすぎまして、ぼくが40代のころ、ある歌手のマネージメントをしていまして、旅をすることが多かった日々をすごしました。・・・もうあれも、20年も前のことになったんだなぁ・・・

 

さて、そんなわけで、歌手はステージに立つ前に衣装に着替えるわけですが、その歌手が還暦をむかえた頃、楽屋で着替えるときに感じたことを思い出しました。

 

上半身の筋肉がおちて、足が細くなっていっているな「還暦」だもんな、こうなるんだなー、なーんてことを思ったわけです。

 

この頃のぼくは、たしか47歳で、還暦はまだ先の話でした。

 

「重力」と「筋肉」の法則をこの時期に発見したわけですが、それから気にすることもありませんでしたが、我が身を振り返れば、そうなんです、ちゃーんと同じ現象が起きているわけです。

 

本来は、このニュートンが発見した重力の法則に逆らうべく、筋トレをするべきであることは、もうとっくり理解していますが、なかなか始めないわけです。

 

ようするに、還暦といっても、中身はこの文章を書く程度であるということを、ちゃんと自覚できました。

 

中身はそう簡単には成長させられません。

まずは筋トレ、はじめるようにしましょう。

スクワットからかな。

f:id:groovyandwonderful:20190923100745p:plain

 

 

病気にならない「常識」

f:id:groovyandwonderful:20190922105541p:plain

「常識」は誰にでもそなわっているものですが、備わっている内容がそれぞれちがう。ぼくの「常識」は、あなたの「常識」とはちがうことがよくおきます。

 

男と女、時代、地域、国、とさまざまなちがいがあるでしょう。

 

なんにしても、病気にならないために、よく病院で検査するのが日本人だといわれています。そして、検査でレントゲンで放射線を定期的にあびる。マンモ検査がはじまって、乳がんが増えたと書いてある記事もみたことがあります。本当かどうかは知りません。

 

病院にいくと、たくさん薬がでますが、薬はすべて「毒」でもあるといいます。ほぼ、肝臓に負担をかけつづけるようにできていて、それは「副作用」と呼ばれます。

 

私の父は、あたらしい薬が処方されたときに、「これには副作用はありますか?」と聞いたら、薬なんてすべて副作用はあるんですよ。気にするほどのことはないということで、飲み続けていたら、奇病といわれる強皮症〜間質性肺炎となりました。

 

病気を自分で調べていたら、飲んでいた薬の副作用に該当していることをみつけました。処方した医者へ、副作用の中に強皮症になる可能性が書かれているが、その説明をうけていなかったと、文句をいいにいったそうです。そのお医者さんの場合は、のらりくらりと無回答だったそうです。

 

体が動かなくなっていく過程で、とても悔しく思ったと語っていました。もちろん、これが直接原因かどうかなど、突き止めることはできません。ただ、このときに、この国の「常識」としてのシステムとビジネスの流れに違和感を感じました。

 

もう20年も前のことですが、妻が抗がん剤を使った治療をしましたが、今や、抗がん剤はアメリカではほぼ使われない治療方法だという記事も読んだことがあります。当時はすがる思いでお医者さんのいう通りの治療をしました。しかし「常識」も変わります。

 

こうしてくると、何が本当で、何がまちがっているのか? 医者は嘘をついているのか?といえば、そんなことはなくて、そのように勉強して、教えられてきたことを確信をもって患者さんたちにつたえているわけです。

 

「常識」を疑ってみる。

 

色々情報がありますが、自分自身で調べてみて、方針を選ぶ。

この基本姿勢を、いままではお医者さんへ依存していたんだなぁと気がつきます。

 

かぜをひいて、熱をだしたら水風呂にはいるということをオーストラリアで聞いたことがあります。ぼくらの「常識」とすれば「じぇじぇじぇ」ですが「常識」ってそんなもんなんだろうなって思うわけです。

 

僕の場合は、病院にはなるべくいかない・・・自分の自然治癒力を生かすという方法かなと思っています。たぶん、問題は、お酒と食事バランスでしょう。

 

結局、お水をしっかりとって、日本人にあった食事をして、適度に運動する。規則正しい生活をする。考えても結論はなんともシンプル、簡単でありました。

時を超える楽曲たち

ちょうど、ここのところ、レコーディングが重なっているが、森川さんは松井五郎さん作詞、と玉置浩二さん作曲の作品をレコーディングをしている。

 

「あなたに」という楽曲は1983年頃に作られた楽曲のようです。それからレコーディングされ、安全地帯のアルバムの1曲として1984年にリリースされています。

 

こうして「楽曲」は生まれてから、35年以上たつわけですが、鮮度が保たれたまま時を超えて、またちがう歌手に歌われていきます。

 

f:id:groovyandwonderful:20190919145114p:plain

 

そして、真璃子さんもまた、30年ほど前にレコーディングしたけど、リリースされなかった、そんな楽曲を新たにレコーディングしました。

 

当時、タイトルさえ紹介されないまま、とんねるずのオールナイトニッポンのエンディングテーマに使用されていた楽曲で、「幸 -Sachi-」という楽曲です。

 

楽曲には、書いたそのときの感情がそのままパッケージされているわけですが、おもしろいもので、書いた本人、あるいは歌い手があたらしくアプローチすることで、熟成されたり、あらたな解釈がうまれたりと、時間が作品にあたらしい香辛料をふりかけてくれます。

 

メロディーと歌詞は、時代によって、歌声によって、見せる横顔が変わります。

 

何年やっていても、面白いものだと思います。

f:id:groovyandwonderful:20190919150659p:plain

 

 

「あの頃へ」Crazy Director Recording Diary 11

f:id:groovyandwonderful:20190919142934j:plain
2019-8-14  18:10 ~ 「あの頃へ」

Piano +ちょっぴりシンバル+歌

 


前回「Friend」のレコーディングまで書いていました。この日のレコーディングはまだ続きます。


今回のレコーディングは、最大4名の編成という「制限」を自らに課して、その中で最大限の演奏効果を求めるというレコーディングをしています。

 

<Crazy Memo>
最大の人数として4名・・・ドラム、ベース、ピアノ、ギター
トリオ編成その1・・・ドラム、ベース、ピアノ
トリオ編成その2・・・パーカッション、ピアノ、ウード
トリオ編成その3・・・パーカッション、ピアノ、ベース
デュオ編成その1・・・ピアノ、ガットギター
デュオ編成その2・・・ピアノ、パーカッション
デュオ編成その3・・・ピアノ、ベース
ピアノだけ(+ちょっぴりシンバル)


というバリエーションで13曲を録音しました。

 

「あの頃へ」は、一番下の、ピアノだけ(+ちょっぴりシンバル)です。
なんと贅沢なシンバルの使い方でしょう。

 

森川さんの歌の感覚は、どんどん研ぎ澄まされていきます。体は疲れていきますが、精神はどんどん敏感に音に反応していきます。それを感じ取る野﨑さんのピアノも同じ空気につつまれて、完全にシンクロしていきます。

 

この状態で、歌とピアノだけというレコーディングになりました。これは結局3回ほど演奏をしましたが、どれもよかったので、ぼくとしてはどれでもいいので森川さんと野﨑さんに決めてもらいました。

 

3テイク目をえらんだので、このテイクに森川さんに自由に2回くらい歌っておいてと歌ってもらいました。

 

ゾーンに入るということってあるのでしょう。すばらしい歌でした。パーフェクトです。


時間は18:50です。

森川さんは大阪へ帰りますが、まだ少し時間があります。

 

Crazy D「一匹さん、ダビングするまえに、森川さんがいるうちにPV撮影させてください」

 

一匹さん「いいっすよ」

 

Crazy D「はい、ではピアノをここに移動して、森川さんは、この椅子に座って、、はいそれで、一匹さんは、絨毯のところにすわって、その不思議な音のする魔法の壺を叩いてください」

 

映像監督 「このアングルでいいですか?」

 

Crazy D「はい、それでいいです。やりましょう。はい、音流してくださーい」

 

映像監督 「うーん、ちょっと森川さん、もう少し前にきましょうか。もう一度お願いします」

 

・・・こうやって「Friend」のPVを30分で終えました。

 

19:20 です。

この驚異的なスケジュールの中で、、、2日間で9曲のオケが完成。歌も8曲はOK。さらに、PVを4曲撮影しおえました。

 

クレイジーな計画でしたが、みなさまのおかげで、見事にクリアーしました。

 

森川さんは明日も朝早くから大学です。よくぞこんなスケジュールに挑み、歌いきってくれました。さぁ、とっとと帰りましょう。

 

19:30にスタジオを飛び出し、20時過ぎにの新幹線にのってもらいました。

 

ぼくは、残って、この日のラフミックス資料をつくって森川さんへメールしました。


翌朝起きたら森川さんからメールが来ていました。

「あの頃へ・・・歌い直してもいいですか?」

 

「え?」

 

もう一度、文章を見直しますが、ちゃんと歌い直したいと書いてあります。

 

「どうして? なぜ? なぜなんだぁー???」

・・・と思いながらも、もちろん、ダメだなんて、そんな恐ろしい事は言えません。

 

「はい、わかりました」

 

自分をおちつけてから、そう返信をしました。

 

ぼくには意味はわかりませんが、でも気にすることはありません。どちらに転んでも、いい歌はもう録音されているのですから。