思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

原子爆弾

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長崎にいきました。

平和祈念像の右手は原子爆弾を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者への冥福を祈る。この像を見に来たことは何度か来たことがあるが、原爆資料館にははじめて入った。

 

このような資料館はに、ウィークデイにもかかわらず、たくさんの方々が見に来ていたことはとてもいいことだと思いました。過去の歴史は、そのままを記録し、そこから未来を考えることが大切だと思います。

 

外交のこともからめると、どうも、歴史に蓋をしたくなる輩が出てくる。すべてを損得のみで考えると、歴史そのものを捻じ曲げてしまうこともある。事実は事実を、記録を残し、のちの人間は、その事実から、次にもっといい解決方法を考えていくべきだろう。

 

それにしても、トルーマンは、この爆弾を使うべきではなかった。

 

ぼくが驚いたのは、この爆弾が落とされる1年前ハイドパークでのあるふたりの会談での約束だった。それはルーズベルトとチャーチルが、原爆ができたら、日本で使ってみようね。そうだね。という意見の確認がされていてたというのだ。

 

ヒトラーに使ってみようね、、、という風にはならない。

 

ルーズベルトがいなくなり、トルーマンの時代へ移り、終戦も見えて来た1945年7月のポツダムで、チャーチルはトルーマンに去年(1944年9月)ルーズベルトと約束したよ。はやく日本で原爆を使ってみようぜとトルーマンに声をかける。すぐに警告なしで投下するべきだと。

 

そして、トルーマンは翌25日に原爆投下許可をだした。投下実行はご存知のとおり。8月6日広島リトルボーイ(ウラン型原子爆弾)、そして9日長崎ファットマン(プルトニウム型原子爆弾)

 

爆弾投下をスピーディーに決断できた背景には、人種差別の心があっただろうと推測できる。決してドイツでの実験はしない。日本で無警告で実験を行い、その悲惨な状況を脅威としてアメリカの力を見せつけた。わざわざ、2種類、なるべく被害の少なかった場所で、2種類の爆弾を実験したのだった。

 

どうすれば、地球が平和になるのかはすぐにはわからないけど、日本から平和を発信することはとても大切なことだ。

 

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