思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

記憶について

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あの日の夕焼けが忘れられない。

あの一言が忘れられない。

 

今さっき、言ったばかりでしょう?

ちゃんと聞いているの?

 

日々、ぼくらは記憶の中で生きている。

記憶という機能が失われたら、

そもそも、自分という概念さえわからなくなるだろう。

アイデンティティなんていうのも、

自分というスタイルをつくりあげて

そのスタイルの継続だから、記憶で形成されていくのだろう。

 

たまに自分のスタイルっていうのは、じゃまに感じることもある。

ぶち壊したくなることもあるけど、だいたいは

スタイルの中にくるまってすごしてしまう。

 

ずいぶん前の話ですが、NHKスペシャルだったかな?

そんなタイプのテレビ番組で「記憶」についてやっていた。

あまりにもぼくにとって強烈だったから、よく覚えている。

 

その取材対象の人は、脳の手術によって

完全に短期記憶を失ってしまった人だった。

 

ぼくも、たまにある話ですが、、、、

冷蔵庫から何かをとり出したいと思って台所に行く

その時に、電話がかかってきて誰かと話をする

電話をきる・・・・あれ?・・・・

台所に何しに来たんだっけな?

何かを思ってきたのに、わからない

 

短期記憶の消失です。

 

このテレビの主人公は、、、、

たとえば電話でおばさんと話をします。

おばさんの家へ行く約束をします。

次の瞬間、その約束は忘れます。

 

料理をしようとします。

作るものを決める。

タマネギ、ピーマン、etc. 素材を用意する。

次の瞬間、何を作ろうとしていたのか忘れる。

 

今、目の前に展開されている野菜は、

何のためにあるのか?

わかりません。

 

だから、毎日、メモが命綱です。

たとえば、電車にのっても、どこに向かっているのか?

すぐわからなくなります。

 

メモをみる。

ぼくはおばさんの家へ向かおうとしているとメモに書いてある。

そうか、ぼくはおばさんの家へ行くのだ。

だから電車にのったんだな。

 

何のためかはわからない。

メモをみる。

そうか、ぼくは、こういう理由で

おばさんの家に行こうとしているのだ。

 

メモは、彼の切り取られた脳であり、記憶装置なのだ。

 

しかし、この人は小さいころの記憶はのこっている。

どうも、脳の場所によって、短期記憶をあつかう場所

そして長期記憶を扱う場所はちがうらしい。

 

人間は本当によくできている。

奇跡的です。

これは、きっと人間だけでなく、万物が奇跡的なのでしょう。

そう思うと、神様がいるのかもしれないということになるのでしょう。

神様がいるのか?神様は人間の発想のアイデアなのか?

こればかりは、わかりません。

 

「記憶」ということを一つ考えても

動物に授けられた機能はすばらしい。

 

きっと最初の記憶は母親であることがほとんどでしょう。

卵から生まれたヒナは、最初にみたものを親だと思うらしい。

そんなことも、別の番組で見たことがある。

生命の仕組みはどんなふうなプログラムが施されているのでしょう。

 

人の顔、友達、歴史、計算式、円周率、覚えた方が便利なことは

どこから、どこまでなのでしょう?

円周率は覚えなくてもいいかもしれないけど、

ゆとり教育での、円周率「3」はやばいだろう。

 

記憶の中で強力なのは、憎しみだろう。

たとえば「忠臣蔵」

仇討ちの根っこは、憎しみでしょう。

ところが、これはとても人気があって、みんな大好きです。

 

感情を揺り動かす「記憶」は長期記憶にはいりやすいことは事実です。

しかし「憎しみ」はやっかいです。

 

「記憶」を平和利用するためには「忘れること」も必要なのかもしれません。

これを手放すためにはどうすればいいのでしょうか?

 

世界にはほとんどない手法ですが、、、

「水に流す」

日本のこれは、かなり高度な文明ではないかと思います。

 

ぼくらには、やれることがたくさんあるのかもしれません。

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