思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

「才能」について

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長年、音楽業界に身を置いてきましたので、さまざまな歌手を身近で見てきました。いつも、声がいいな、歌がうまいな、才能があるな・・・とか、客観的に見てきましたが、この客観性とは、ファン目線、お客様目線と同じであります。

 

徐々に視線は変化していく部分もありますが、それは、経験をつみ、意識をすることで分析していく範囲が生まれるだけです。この一般のお客様目線は・・・もちろん、統一したものではありません・・・自分の中にある感覚という風に言い換えてもいいかもしれません。この部分は、ディレクションをおこなうにあたり、とても大切なことだといつも感じています。

 

ある日、気がついたことがあります。特定の人物に限定することでもないので、一般論として書いてみます。

 

「才能がある」人は、あまり努力しない。

 

こんな法則を見つけました。

たとえば、歌が上手くて若くてかわいいとします。大人たちもみんなが褒めてくれます。そもそも、努力しなくても、腹式呼吸でのロングトーンは最初っから歌えるし、習う必要はありません。音程もいいし、メロディーだって、すぐ覚えられます。歌の先生についても、自分より下手だったりします。そして、人気がでてくると、鼻がのびていきます。

 

これはある一例ですが、こうなっちゃうと、たいへんもったいないことが起こってきます。

 

「努力しない」ことをどんどん覚えます。

 

上手いっていっても、ある程度まぁまぁ上手いという段階であることに気がつきません。しかし、努力、研究、練習、反復、反省、研究、改善、練習、・・・という一連の努力のループは作れません。そうすると、歌がうまいね・・・という、ある一定の段階で実力はストップします。

 

こういうケースはもったいないなーって思います。
ぼくがスタッフの場合は、あの手この手でアプローチします。ぼくはしつこい方なので、諦めずに、言い続けるわけですが、これがけっこういやがられます。まぁ、それでも、言い続けるわけです。やめません。

 

時間はかかるのですが、あきらめると、それはぼくの中では、相手を裏切ることになってしまいます。担当する歌手を良くしていく努力をぼくがやめてしまうことになるからです。

 

そうやって、諦めずにやっていると、本人に何らかの気づきが生まれる時期が到来します。その「気づき」は、誰か第三者の言葉だったり、尊敬するアーティストの言葉だったりします。それが感覚的に、ぼくが伝え続けていた内容につながったとき、いきなり信頼性が深まります。そして、もっと知りたいと聞いてきたりすることがあります。

 

そうなると、急速に成長がはじまります。まったく変わるのです。「受け入れる心」がある人に話をすると、どんどん吸収していきます。スポンジみたいです。

興味がない、聞く気がない、めんどくさい、うるさいなぁ・・・という「閉じた心」にいくら話をしても、言葉はつうじません。さすがに、こういう時には、ぼくも黙っています。

 

若い頃というのは、みなさん本当はもっと遊びたいのです。しかし忙しい。仕事以外に、歌の勉強をもっとするなんてできない、遊びたいんですから。そんな時期があっても当たり前ですし、遊んだっていいと思います。

しかしですね、そもそも、歌うことが好きでそのポジションについたのなら、もっとやればいいのになーって、つい思っちゃうんです。組織の中にはいったらもちろん、いろいろな制約があります。ぼくも、会社にいたときには、さまざまな制約の中で動いていましたし、やりたくないことも、ばからしいと思ってしまうことも、たくさんあったわけです。それは、年齢に関係なく、若い頃は、もっとそう思ってしまうことはあるでしょうね。

 

だからこそ、最初にやりたかったことを忘れてはいけないのだろうと思います。
「いい歌をうたいたい」と思ってはじめた歌なら「いい歌」とは何か?を探求しないとなりません。自分にとっての「いい歌」とは何か?それを言語化できなければ、努力する方法もわからないでしょう。
「人を感動させる歌を歌いたい」と思ったら、「感動する歌唱」とはどんなパフォーマンスなのか?を自分でわからないと、そこには到達できません。


努力しないで、できている人は、あるところまでは、すぐ行けます。それは、トーナメントでいえばシードみたいなことで、2回戦から出てこれるだけでう。ようするに、まわりは努力して勝ち抜いてきた人たちです。その中に入っていくことになります。

この「もったいない」現象を断ち切る、簡単な方法があります。心のも持ち方を意識することです。「礼儀」「挨拶」「謙虚」この程度でも、心の中においておけばいいと思います。

 

年をとると、少しはわかってきます。わかった時が遅くとも、迷うことなくすぐにその瞬間からはじめればいいだけです。

生まれたときから考えれば、常に「今」は人生で一番年寄りです。そして、死から振り返ってみれば「今」は常に人生の中で一番若いのです。