記憶の中にある景色 01
還暦をむかえるにあたり、人生の振り返りメモを書いてみます。そのうち、息子や孫たちが、読む日がくるかもしれません。
ぼくはミュージシャンになりたかった。
でも、へたくそでなれませんでした。
自分が優秀であったと思うのは、演奏の才能がないということを自分自身で見抜けたことだと思います。客観的に自分自身のプレイを聴いて、こいつはプロとしては無理だと判断出来たこと。それを明確に「君はプレイヤーの才能ないよ、失格だよ」と自分自身に宣告ができたことが、ぼくのもっていた才能だっただろうとと思います。
プロになろうと思って、家をとびだして、一人暮らしをはじめて1年も経たないうちに、自分に失格という判断を下したわけです。けっこう早い決断ですね。こうやって書くと「お前は本当に努力したんかい、コラ」と言いたくなります。
きっかけは、1979年前後だと思いますが、今も築地にある音響スタジオでのCM録音にたちあったときの体験でした。当時ぼくは19才か20才です。
スタジオにミュージシャンが楽器をもって入ってきます。このときは、Drums Bass Guitar それに、コントロールルーム側にシンセがセットされていたと思います。もしかしたら、BassもGuitarもラインでの録音だったかもしれません。身軽だったような気がします。アンプはもってこないかったような気がします。セッティングが終わると、譜面をくばられ演奏します。簡単な曲だったので、1時間で演奏をおえて、お金をうけとり片付けて帰っていきました。
ぼくは衝撃をうけました。むずかしい曲ではないとはいえ、譜面をわたされてその場で弾いて、さらにびっくりしたのは、そのまま帰っちゃったということです。Drums Bass Guitarの3名は、どんな歌のメロディーかすら知らず、気にもせず、「おつかれさまー」といなくなりました。
わお。まじか。
ぼくには出来そうもないなと、この時に強く思いました。
譜面を初見で弾くことが出来ないとスタジオ・ミュージシャンにはなれないんだと強烈に思ったことも、この時がはじめてでした。なんというか、もともと甘っちょろい考えで、音楽は譜面だけじゃないし、バンドでは、ある程度わかればいいと思っていたからです。
そして、驚きポイントの2つ目は、ミュージシャンたちは、自分が弾いていた曲が、いったいどんな曲かも知らないままで、それは歌もののカラオケなのか?歌手はどんな声をしているのか?どんなメロディーの曲なのか?それさえも気にせずに「おつかれさんー」とスタジオを後にする姿を見て本当にびっくりしました。いまなら、まぁ、業務なわけだから、言われたことをやって、約束していたギャラをもらっていくだけだから、なんとも当たり前な行為です。しかし、当時のぼくはびっくりで、メロディーも、歌も、気になって仕方がない。
技能はもちろん、精神的にも、ぼくにはとうてい出来ないだろうと判断した瞬間でした。
そのうち、またつづきを書きます。