思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

怪物たちがやってきた

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孫たちとあうのはたのしい。なかなかタイミングがあわず、10ヶ月ぶりに会う。

チーン。

まずは阿弥陀様と清安さんの写真に手をあわせてもらった。

かわいい。なかなか、お行儀もいいじゃないか。

さぁ、食事にしましょう。

 

ぼくは、常々、核家族というのは不都合なことがおおくて、本来であれば、おじいちゃん、おばあちゃん、たちと、一緒に生活することで、たいへん色々なメリットがあると感じていた。

 

それは、たとえばお料理の味付けを一族単位でひきついでいけることとか、おとうさん、おかあさんが、体調をくずしたときのバックアップ体制や、集団で生活するために協力しあうということや、食事もみんながそろって食べるということの大切さ、などなど、とても大切なものごと、知識、精神性、躾け、などもふくめてとてもいいことがたくさんある。

 

もちろん、嫁姑問題など、それも含めて抱え込むこともあるだろう。今は、家に嫁ぐという感覚は少なっているかもしれないが、なんでもかんでも、規制緩和がいいものでもないだろうと思うことがある。

 

しかしです。別々に住む「楽ちんさ」というのは、おとうさん、おかあさん、だけではない。おじいちゃん、おばあちゃん、サイドも、楽させてもらっていることは覚えておかなければならない。

 

この怪物くんたちのパワフルな毎日を考えると、もしも一緒に住んでいたらと考えるだけで、命が短くなるような思いだ。

仕事どころではない、何がいつ起こるかと考えるだけで、神経がすりきれる。

 

わー、そっちいっちゃあぶない!

ごてん・・・びぇ〜ん

大丈夫かー、はいはい、痛くない、痛くない、大丈夫、大丈夫

いやだー、いやだー、

えー? なんでー? なにがー?

びぇ〜 ママー

 

ママは、平然としている。

女は強い。

女性はこうやって母親になっていくのだ。

だまって、眺めながら、はいはい・・・と、いざとなったときに出ていく。

 

10ヶ月ぶりでもあり、ぼくは、ひさしぶりに神経が疲れた。

とにかく食事を終えて、お寺へ法事へいき、そこでこの日は終了した。

 

いやぁ、別れたときにほっとしたことなんのって。

家に帰って、すぐに昼寝をした。

 

みんなで生活するのも楽しそうだけど、常に、覚悟というものが必要である。

自分の時間がほしい・・・などと、そんな甘っちょろいことを考えているようでは、とんでもないだろう。

 

さぁ、まだこの先も、まだしばらく人生はつづく。どんな未来がまちうけているのだろうか。楽しみであるが、やはり、あとは健康であること。これだけは、生きる条件として一番大切であると心底おもった、妻の三回忌でした。