「気持ち」の見える化について
森川さんのライブのときに、いつもファンの方々からいただくお花。なかなか本人は持ち帰れないので、なるべく、ぼくが持ち帰れるときにはいただいていきます。そして、我が家の玄関を華やかにしてくれます。
いつも、綺麗なお花をありがとうという気持ちを胸に、歌声で応える。歌手として出来ることはいつだって一つです。相手に伝わるように、気持ちが届くように歌うということです。
この花束には、いろいろな「気持ち」が込められています。
「いい歌を歌い続けてね」
「応援していますよ」
「毎日、学校で教えながらで忙しいでしょうが、がんばれ」
「もっと、毒舌きかせてー」
「メンバーによろしく」
「今年も、いい作品、アルバムを作り上げて、またライブで聴かせてね」
花からそんな言葉が聞こえてくるようです。
こうやって「気持ち」を形にして見える化することって大切なんだなと思います。
そもそも視覚化することは、大きな力をもちます。音楽は、聴覚ですが、ジャケットは視覚です。音を聴いたことがないのに、買っちゃったCD、ありませんか?
視覚というのは、強烈なアピールがあるのです。これも、伝達するための方法としては、意識しておくべきポイントでしょう。
言葉や音楽は、時間とともに流れて消えます。その瞬間の言葉を聞き損ねたら、それは何もなかったことと同じです。
ぼくらの世代までの「夫」と呼ばれている人種は、まずこの「気持ち」の見える化をしない。照れ臭いし、当たり前のことだから、いちいち口にしない。
夫婦は阿吽である。いちいち、言葉などにはしないよ。
・・・というような考え方です。
しかし、言語で伝えないのであれば、こうやって見える化する努力、したことあるの?
思い返しても、どうも、そのような努力をしたことがない。
口にもしない、形にもしない、見える化の努力もしない。
そうなると、そこには、本当に「気持ち」があるのかどうか?わかりゃしない。
そんなことになってたんじゃないの?
ようするに、すべて相手の判断に委ねている。それだけである。
それだけで、あった。
がーん。。。。
歌を伝えるということはどういうことかなど、いつも、しつこいくらいに考えながら、それを伝えながら、レコーディングしているわりには、日々の中では、なにもしてこなかったわけだと思い知ります。
さまざまな事柄は、知っているか、知らないか、
気がつくかどうかによって大きく変化します。
気がつくのが遅くても、これは現実ですから仕方ないですね。
夕日を眺めて散歩をしながら、反省の日々を過ごしなさいと、
どこかかともなく、そんな声が胸に響きます。
はい、わかりました。