思考の散歩道

散歩好き音楽ディレクターの日記

「思い」を伝えたい。意思伝達装置の開発について

重度障害者の意思伝達装置の開発応援クラウドファンディングの紹

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「思い」を伝えたい

 

ぼくらは毎日、何気なく会話をしています。
電車の中のほんのちょっとした時間でもSNSを見たりメールをしています。
人生においてコミュニケーションがどれほど大きな意味をもつのか、考えてみたいと思います。

 

たとえば「声」を失った人がいます。
しかし、その人は「コトバ」を失ったわけではありません。
「思い」は確実に存在して、その人の中に「コトバ」に変換され、大切にしまってあるのです。

 

 


ぼくが応援したい理由を、
「思い」と「コトバ」について書いてみます。

 
 

ぼくは「コトバ」の使い方が下手でした。
音楽を仕事にしているくせに、プライベートでは ”伝える” 努力を怠っていました。
これは生涯の後悔となりました。


妻が倒れたのは、2010年の2月13日、雪がちらつくとても寒い日でした。

 


「行ってきます」と家を出るときに見た妻は元気でした。
その日の夕方、妻を見たのは救急病院のICU。


気道を確保するためのチューブが口から差し込まれ、心拍数を計測するためのコードが貼り付けられ、ベッドに横たわっている姿でした。まるで別人でした。いつ生命活動が終了するかわからない、そんな状況でした。
あの日の「行ってらっしゃい」が、妻の「声」を聞けた最後となりました。

 
 

ベッドに横たわっている妻の顔色に血の気はなく、生きているのか?と手をさわってみると、体温があった。
呼吸のために、胸がわずかに上下していることを確認して、生きてると知った。
ショックと混乱の中で、強い悲しみを感じながら、体温を喜び、呼吸に救いを求めた。

医者からは、今夜中、もしくは長くても3日のうちには他界するといわれたけど、妻は自発呼吸で4日目の朝を迎え、その後7年半生きました。

倒れたあとは、もちろん悲しかった。
しかし、何故だかこの状態、この関係をぼくらは経験することが、とても大切なのだと強く思うようになっていきました。

 


ぼくは、妻の体に閉じ込められている「気持ち」のことがいつも気になっていた。
健康だったときは、見向きもせずに「仕事」にかっこつけて自分の好きなことしかやらなかった。
妻のことはいつもおいてけぼりだった。そう思います。


妻の体の中に閉じ込められた「コトバ」をどうすれば救出できるのか?ぼくは毎日そればかり考えていました。
妻との日々により、医学的に遷延性意識障害(=わかりやすいえば、植物人間)というような言葉で紹介されている重度障害の人たちの中にも「コトバ」があることに確信をもつようになりました。

 


眉毛をそろえて、最終的にムダ毛を毛抜きで抜いた時に「痛っ!、やめてよ」という顔をします。
そして、瞳をコントロールすることが苦手な妻が、ぼくを斜め下から見上げて睨みます。
「あ、ごめんごめん」といいながら、ぼくは嬉しくなりました。

 


妻の中の「コトバ」はこのようにテレパシーのように伝わりはじめました。

 


リハビリのときに、唇をうごかそうとしたり、内緒でバニラアイスを水滴で言えば1〜2滴ほどの大きさを口にいれて「おいしい?」と聞くと「うん」という返事が、まばたきだったり、うなずきだったり、口を「うー」という形にしたり、その時にできる手段で表現してくれるときもありました。

 


これも「コトバ」です。

 


障害をもっている人たちのコトバを、ぼくはいろいろな形で体験したことがあります。
レッツチャットを使っている人、文字盤を見ることで、それを読み取りながら会話している人、指談という方法で「コトバ」を読み取れる人をとおして会話する方法、ほかにも、さまざま経験しました。

 

このときに、とても素晴らしいことに気がつきました。
普段「コトバ」を扱えない、妻のように極度に文字数制限がかけられている人たちの心は、どんどん美しくなるということです。
 
 

少ない文字数しか使えない時「人は美しいコトバ」しか選びません。

 


ぼくら健常者のように、愚痴なんて言いません。

文字制限の中で「コトバ」はとても貴重な資源です。
自分の「感情」「心」「気持ち」「思い」を伝えられる数少ないチャンスです。
くだらない愚痴などに貴重な資源を使ったりしません。
大切な大切な「気持ち」を伝えたいとき、優先順位を決め、考え抜いて選んだ「コトバ」だけを伝えるのです。
 
 
「ありがとう」
 
 
この5文字は、ぼくらの何十倍も考え、選び抜かれた「ありがとう」です。

 

 
國學院大學の柴田先生がやられている「きんこんの会」に参加するたびに、この貴重なコトバたちと出会いました。

彼ら、彼女たちが選びぬいた「コトバ」は美しく、感動があります。

そんな輝いている「コトバ」たちを解放してあげることができる、意思伝達装置があれば、どんなに素敵だろうと思います。
 
 
 
あの美しい「コトバ」が広がれば、世界がよくなる、そんな気さえします。

 

 

ぼくは、会社を辞めて、妻が遷延性意識障害として生きた7年半のほとんどの日々、病院へ通い、ベッドサイドで妻と時をいっしょに過ごしました。最初のころ、看護師さんたちは、妻に意識があるなど信じていませんでした。ぼくが伝えても、家族を刺激しないようにという程度の対処で「よかったですねー」と対応する程度でした。
しかし半年ほどが経ち、毎日リハビリをしているぼくらの変化に、気がつくようになりました。

 

 

ベッドの上に寝ているのは、人間です。
「気持ち」も「コトバ」ももっている人間です。
コミュニケーションができれば、そう思われるのですが、そうでないと、悪気はないのですが、ついつい「モノ」のように扱われていきます。
 
 

病院の仕事はハードだし、分刻みに業務があり、段取りがしっかりしていないといけませんので、ついそうなることがあります。

しかし「コトバ」さえあれば、ベッドの上の人生も大きく改善されることでしょう。
妻の「コトバ」は、声でも、文字でもなく、見逃してしまうほどささやかな表情の瞬間芸でした。
しかし、ぼくがそれに喜び、看護師さんたちに伝えつづけていた結果、彼女たちも、それに気がつくようになりました。
 
 
ここから、ベッドの上にいる人は、コミュニケーションがとれる人間であると、認めてもらえました。
 
 
これは、人間の尊厳の回復でもあり、大きな出来事でした。
 
 
きんこんの会で出会った、自閉症やダウン症の子供達が、心の中の「コトバ」を伝えられた瞬間に輝くような笑顔になる、そんなすばらしい瞬間に妻とともに立ち会うことができました。
 
 
20年間閉じ込められていた感謝の「コトバ」、おかあさんへの「ありがとう」を言葉にできた瞬間、本人は輝くような笑顔になり、母親とまわりにいた、ぼくらも感激の涙を流していました。
美しいコトバが解放された瞬間でした。

 


こんかいのクラウドファンディングを立ち上げた松尾さんは、妻の病院にも何度も来てくれました。
残念ながら、全身麻痺で、レッツチャットをつかえるところまで筋肉は回復できまでんでしたが、はっきりしていることは「コトバ」を使えるか、閉じ込められたまま使えないままでいるのか、この差は、本人はもちろん、まわりのぼくらにとっても、たいへん大きな問題です。

 

クオリティ・オブ・ライフという考え方がありますが、まさに「コトバ」を扱えるかどうかは、人生の質を大きく左右します。
 
 

これを手に入れることができるチャンスがここにあります。
ぼくらは「美しいコトバ」たちを救い出せるかもしれません。


松尾さんの志と行動、そしてその先には、キラキラしたコトバがこの世にどんどん生まれていくのだろうと思います。


応援よろしくお願いいたします。