還暦の日に思うこと
せっかくブログをはじめたので、還暦の日に思うことを書いてみようと、なにも考えずにキーボードをうちはじめてみました。
まず、年齢について、他人のことを「年寄り」と思っていた若い日々があったなと思い出しました。
最初にそれを強烈におもったのは、日本テレビ系列の音楽出版社にはいった、、あれは、1984年だったかなー、そのくらいだと思います。なぐり(金槌)やノコギリを手にして働いていた日雇いのアルバイトから中途採用で、音楽業界へ転職しました。
あの頃、日雇いの仕事が楽しくて、もう音楽業界にはもどらなくてもいいやと思っていた時期でした。朝から一つ現場をこなし、よごれた服で、ずた袋からは、なぐりやノコがとびだしている、そんなかっこで面接に行っきました。面接は5〜6名ほどで、まわりはスーツでビシッとしていまして、へんなのが来たと1人だけの採用枠に通ってしまったという、そんな若造でした。
書いているうちにいろいろおもしろいことを思い出しますが、当初のテーマ「年寄り」にそって考えると、1985年の春に人事異動で、本体のテレビ局から、子会社の音楽出版社へ人事異動で常務としてやってきた方が、50歳でした。
当時、ぼくは24歳です。常務と最初に話をしたときに、当時の世間知らずのぼくは、大企業って大変だな、、、50歳でまだ人事異動とかで、こうやって新しい仕事をさせられるのか。年寄りなのに、大変だな、、、なんて思っていました。
ひどいですねー。しかし、目がギラギラしたやるきまんまんの方でしたので、そうか、こんなに年とっても、まだまだ働けんだなー、、、くらいに思っていました。
ぼくの父は、50歳で定年して、しばらくは碁会所へ毎日いって、そのうちそれも飽きちゃって、近所の会社に再就職して、、みたいな時期だったので、50歳は定年の年、人生50年・・・それ以上は働かなくていい・・くらいにしか思っていませんでした。
時がすぎまして、ぼくが40代のころ、ある歌手のマネージメントをしていまして、旅をすることが多かった日々をすごしました。・・・もうあれも、20年も前のことになったんだなぁ・・・
さて、そんなわけで、歌手はステージに立つ前に衣装に着替えるわけですが、その歌手が還暦をむかえた頃、楽屋で着替えるときに感じたことを思い出しました。
上半身の筋肉がおちて、足が細くなっていっているな「還暦」だもんな、こうなるんだなー、なーんてことを思ったわけです。
この頃のぼくは、たしか47歳で、還暦はまだ先の話でした。
「重力」と「筋肉」の法則をこの時期に発見したわけですが、それから気にすることもありませんでしたが、我が身を振り返れば、そうなんです、ちゃーんと同じ現象が起きているわけです。
本来は、このニュートンが発見した重力の法則に逆らうべく、筋トレをするべきであることは、もうとっくり理解していますが、なかなか始めないわけです。
ようするに、還暦といっても、中身はこの文章を書く程度であるということを、ちゃんと自覚できました。
中身はそう簡単には成長させられません。
まずは筋トレ、はじめるようにしましょう。
スクワットからかな。